ルカの福音書-42
- 出演者
- 大嶋重徳
- 制作
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2021.01.11
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 2章
- 放送日
- 2021.01.11
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
今日のところでは、十二歳のイエス様が出てきます。イエス様の子ども時代について、聖書がほとんど言及していないことはありがたいなと思います。もし聖書で詳細に、イエス様の子ども時代のことが書かれていたら、私たちの子育ては大変なことになっていたでしょう。子どもたちも、イエス様のようにしなさいと言われて、たまったものではないでしょう。自分が父親のヨセフであったならば、神の子の子育てに悩んだことだろうと思います。どこの育児の本にも、神の子の育て方というのは書いていません。しかも、ヨセフとマリアにとって初めての子どもです。
しかし聖書には、子どものイエス様が成長し、強くなりとあります。このことばは、筋肉がもりもりついていったという意味で、また知恵に満ちていったとありますが、最初から知恵に満ちていたわけではなく、成長とともに知識もしっかりと身につけていったという意味です。子どものイエス様は、子どもっぽさなど何もない、大人びた子どもではなかったのです。もしかすると、母親のマリアも、初めての子育てに感情的に怒ってしまうこともあったかもしれません。やがて生まれてくるイエス様の弟、妹たちと比べて、長男に対して厳しくなってしまうこともあったでしょう。イエス様に、嫌いな食べ物があったかどうかということについて、聖書に書かれていませんので、想像の翼を広げてよいか迷うところです。罪を犯すことはなかったとしても、体の成長が伴うまでの未熟さや、知恵が満ちるまでの弱さがあったに違いありません。
しかしそういうことを含めて、神様の恵みがこの家族を守っていたのです。そしてこのことは、私たちの家族や子育てにおいても、神の恵みがその上にあるという神様への信頼を、親として持って行くことが許されているのです。
あるクリスチャンのご家庭で、その家の子どもが非常に荒れたことがありました。学校には行かない。せっかく進んだ高校も中退をしてしまう。教会の礼拝にも来なくなった。その時に、夫婦で本当に心配したし、苦しまれました。しかしそこで、「自分たちは祈って、この子を育ててきたじゃないか。今問われているのは、自分たちが祈って育てたところに立つことだ。祈ってきた祈りに答えて下さる神様への信仰が問われているんだよ。」そうやって夫婦で話したそうです。つまりこの瞬間も、神の恵みがその上にある、そのただ中にあることを信じて、子どもの成長を見続けていく信仰が、私たちに問われているのです。
今日のところでは、十二歳のイエス様が出てきます。イエス様の子ども時代について、聖書がほとんど言及していないことはありがたいなと思います。もし聖書で詳細に、イエス様の子ども時代のことが書かれていたら、私たちの子育ては大変なことになっていたでしょう。子どもたちも、イエス様のようにしなさいと言われて、たまったものではないでしょう。自分が父親のヨセフであったならば、神の子の子育てに悩んだことだろうと思います。どこの育児の本にも、神の子の育て方というのは書いていません。しかも、ヨセフとマリアにとって初めての子どもです。
しかし聖書には、子どものイエス様が成長し、強くなりとあります。このことばは、筋肉がもりもりついていったという意味で、また知恵に満ちていったとありますが、最初から知恵に満ちていたわけではなく、成長とともに知識もしっかりと身につけていったという意味です。子どものイエス様は、子どもっぽさなど何もない、大人びた子どもではなかったのです。もしかすると、母親のマリアも、初めての子育てに感情的に怒ってしまうこともあったかもしれません。やがて生まれてくるイエス様の弟、妹たちと比べて、長男に対して厳しくなってしまうこともあったでしょう。イエス様に、嫌いな食べ物があったかどうかということについて、聖書に書かれていませんので、想像の翼を広げてよいか迷うところです。罪を犯すことはなかったとしても、体の成長が伴うまでの未熟さや、知恵が満ちるまでの弱さがあったに違いありません。
しかしそういうことを含めて、神様の恵みがこの家族を守っていたのです。そしてこのことは、私たちの家族や子育てにおいても、神の恵みがその上にあるという神様への信頼を、親として持って行くことが許されているのです。
あるクリスチャンのご家庭で、その家の子どもが非常に荒れたことがありました。学校には行かない。せっかく進んだ高校も中退をしてしまう。教会の礼拝にも来なくなった。その時に、夫婦で本当に心配したし、苦しまれました。しかしそこで、「自分たちは祈って、この子を育ててきたじゃないか。今問われているのは、自分たちが祈って育てたところに立つことだ。祈ってきた祈りに答えて下さる神様への信仰が問われているんだよ。」そうやって夫婦で話したそうです。つまりこの瞬間も、神の恵みがその上にある、そのただ中にあることを信じて、子どもの成長を見続けていく信仰が、私たちに問われているのです。
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