わたしたちは枝

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.06.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 15章5節
放送日
2020.06.12

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
今日はまず最初に、イエス・キリストが弟子たちに語られたことばを紹介し ましょう。
ヨハネの福音書 15 章 5 節「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。」
聖書には、ぶどうのたとえがよく出てきます。イエス・キリストは、このヨ ハネの 15 章で「わたしの父はぶどう園の農夫です。」とも言われたんですね。 父なる神様は農夫だというわけです。聖書の舞台となっているぶどう園は、日 本のような「棚作り」と違いまして、枝をそのまま地面にはわせて栽培するこ とが多いそうです。ぶどうの木を育てるのは手間のかかる大変な作業です。農 夫は荒れた土地から石を取り除き、土地を改良し、ぶどうを植え、手入れをし ながら育てていくわけです。特に夏の暑い盛りには、収穫作業は大変なものだ そうです。ぶどうの栽培は、農夫の腕にかかっているわけですね。イエス様は、 父なる神様は、その大変な作業を行う農夫となって下さっていると言われたの です。
神様は、大切にぶどうを育てる農夫のように、私たち一人ひとりを育てるた めに働いてくださっているのですね。信仰に生きるとは、すばらしい農夫であ る神様が、私たち一人ひとりを成長させてくださるということを期待し、神様 に委ねつつ生きることでもあるのですね。神様は最善の世話をしてくださる最 高の農夫です。私たちはこの方によって手入れをされながら、実を実らせるこ とができるのです。
そして私たちは、そのぶどうの木の枝です。枝は、幹につぎあわされていな ければ、決して実を結ぶことはできません。枯れていくだけです。どんなにす ばらしい性能を持ったコンピューターでも、電源がきちんと差し込まれていな ければ動きませんね。私たちも同じです。私たちは枝にすぎないのです。イエ ス様という幹につながっていなければ、枯れてしまいます。
だからイエス様はこう言われました。「あなたがたはわたしにとどまっていな ければ、実を結ぶことはできません。わたしを離れては、あなたがたは何もす ることができないからです」と。
枝にとって最も大切なことは幹につながっているかどうかです。そして感謝 なことに、私たちのがんばりや努力によってつながるのではなく、イエス様を 信じる単純な信仰によって、つながり、生きることができるのですね。

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