キリストの苦難に示された神の愛

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • イースター

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アップロード日
2020.04.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの手紙第一 4章9、10節
[新約聖書] ペテロの手紙第一 2章24節
放送日
2020.04.06

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。今週はイエ ス・キリストが十字架で死なれたことを記念する「受難週」と呼ばれる週です。 十字架は、ローマ帝国での死刑の方法なのですが、なぜそんなことを記念する のでしょうか。
聖書は「イエス・キリストが神の御子である」と語っています。神は私たち を愛し、御子であるキリストを十字架にかけ、彼の命を通して私たちの救いの 道、罪の赦しの道を開かれたのです。聖書にこう記されています。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させ てくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが 神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささ げ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」新訳聖書 ヨハ ネの手紙第一4章9節、10節
キリストの十字架は私たちへの愛と、私たちの身代わりとしての罪の裁きを 表しています。キリストは私たちを愛するゆえに、ご自分の命を犠牲とされた のです。しかも神を愛するどころか、神を否定し、自己中心の歩みを重ねる罪 深い私たちを神は愛し、その私たちにまことのいのちを与えるために、御子イ エス・キリスト十字架にかけて下さったのです。そこに神の愛があるのです。 また、こうも記されています。
「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、 私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがた は癒やされた。」新約聖書 ペテロ第一の手紙 2 章 24 節。
約二千年前のキリストの十字架が私の罪のためであり、私の罪の裁きを身代 わりに受けるためにキリストが打たれた、そのことを信じる時、私たちはすべ ての罪の赦しを受け、癒やされ、罪を離れて義のために生きる人生を始めるこ とができると言うのです。
キリストの十字架は、あなたの救いと、癒やしの鍵であり、すべての人間に とっての希望、生きる命なのです。なぜならば、キリストはこの後、死からよ みがえり、死に打ち勝つ勝利へとあなたを導くからです。どんな過ちや罪があ ろうとも、あなたのすべての罪が赦され、新しい歩みを始める、愛と希望の道 が、イエス・キリストにあってあなたの前に用意されているのです。あなたも このキリストの愛、希望に生かされて歩んでいきませんか。

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