砂上の楼閣

出演者
堀川 寛(三滝グリーンチャペル)
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2025.11.04
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 7章26-27節
放送日
2025.11.04

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「世の光」の時間です。
広島県広島市にある、三滝グリーンチャペルの牧師、堀川寛です。
みなさんは「砂上の楼閣」という慣用句をご存じだと思います。「楼閣」ということばから中国の故事に由来していると思われがちですが、実は聖書のことばを起源としています。この慣用句は、「外見は立派だが、長く維持できないもののたとえ。また、実現不可能なことのたとえ」として使われますが、起源である聖書の意味は少し違っています。その箇所を読んでみましょう。マタイの福音書7章26節と27節をお読みします。
「また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした」
このことばは、イエスの教えとして有名ないわゆる「山上の垂訓」の最後に語られています。また、「山上の垂訓」は聖書の教えをイエス流に凝縮したものと言われています。つまりイエスは、聖書の教えをいくら聞いても、それを実行しないのなら、何の意味もないどころか嵐に襲われた時に簡単に倒れ、しかもひどい倒れ方になる、と言っているのです。
私はこのことばを現代社会に対する警告のように受け止めます。高度に発達した現代文明は、一見便利で素晴らしいように見えますが、災害に弱く、その被害は長く続きます。その原因はどこにあるのでしょうか。もしかすると、聖書全体の教えの中心である「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」ということばを無視して、自分中心の繁栄に突き進んできたことにあるのかもしれません。その証拠に、災害に遭うと、私たちは隣人を愛することの大切さを思い出します。
「砂上の楼閣」に暮らしていると気づいた者は、自分たちの土台、つまり何を大切にして生きるべきか、もう一度考えるべきではないでしょうか。是非一度聖書を手に取って読んでみていただければ幸いです。

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