人々に仕えるために来られたイエス

出演者
岩井基雄
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制作
一般財団法人 太平洋放送協会

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アップロード日
2020.01.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 9章31節
放送日
2020.01.20
「世の光」の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。
 第三週の月曜日の今日は、キリストが行われた愛の業から、人々に仕えるために来られた主イエスの姿を一緒に考えてみましょう。
 「キリスト」とは、救い主を意味するギリシャ語です。ヘブル語ではメシアといいます。神の民イスラエルは、救い主メシアの到来を待ち望んでいました。彼らはエジプトでの奴隷状態、ダビデ、ソロモン王の繁栄の後、国の分裂、滅亡、敵国の捕囚という屈辱も経験したのです。
 イエスが歩まれた時代も、イスラエルはローマの支配下にありました。それゆえ彼らは、ローマを打ち倒す、力強い救い主メシアを待ち望んでいたのです。ですからイエスが、ロバの背に乗ってエルサレムの城へと入った時、人々はついにその時が来たと考え、歓喜してイエスを迎えたのです。しかし、そのような人々の期待を否定すべく、イエスはこう語りました。
 「人の子は人々の手に引き渡され、 殺される。しかし、殺されて三日後によみがえる」新訳聖書 マルコの福音書9章31節
 実は、真の勝利は、このキリストの十字架と復活にありました。しかし当時弟子たちには、この言葉が理解できませんでした。道中の弟子たちの話題は、「だれが一番偉いか」ということだったからです。彼らも「イエスこそメシアであり、いつか人々にも認められ、イスラエルを再考してくれる」と考えていたのです。そのすべてをご存じのイエスは、弟子たちを呼んでこう言いました。
 「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい」と。またイエスは、一人の子どもを彼らの真ん中に立たせ、彼らに言われました。
 「だれでもこのような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。」マルコの福音書9章35節?37節。
 人々に仕える者となること、それが弟子たちの持つべき姿勢でした。へりくだった心をもって、人々に省みられることが少なかった小さな子どもをも受け入れること、そして、人々に捨てられ、殺される主イエスをも、心から受け入れること、そのことこそ、神に喜ばれる弟子の姿勢だったのです。人々に心から仕えていく、へりくだった心を、神様は何よりも喜んで下さるのです。

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