命にいたる悔い改め

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.08.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] 使徒の働き 11章
[旧約聖書] イザヤ書 55章6、7節
放送日
2019.08.13

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世の光の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「いのちに至る悔い改め」という題でお話ししましょう。
 私たちは、使徒ペテロの巡回伝道を見てきました。キリスト教にとって大事な教理になっています「いのちに至る悔い改め」についてお話ししましょう。使徒働き11章に入ります。
 さて、「いのちに至る悔い改め」この言葉の背景ですが、ペテロがローマの軍人コルネリウスの家に行って伝道しましたね。ペテロは巡回伝道の報告もあり、エルサレム教会へ帰りました。するとペトロを咎めて言いました。「あなたは割礼のない異邦人たちのところへ行って、食事を共にしたというじゃないか。割礼のない異邦人とはどういうことでしょうか。ユダヤ人の先祖アブラハムは、主なる神様を信じて、義、罪がないと認められました。そして、印として割礼を受けました。すなわち神と結びつき、罪が赦され、清められ、神の家族となり、神の恵みと祝福を受けた印が割礼だったのです。ですから、割礼のない異邦人とは、罪を持った汚れた人、神様と結びついていない人のことです。そのような異邦人と食事をいっしょにするとは言語道断だったのです。
 ところがペテロから、異邦人コルネリウスと人々の回心を聞いた時、神は異邦人にも「いのちに至る悔い改め」をお与えになったのだと、神をほめたたえたのでした。
 そこで、「いのちに至る悔い改め」とは、聖書では三つの要素があります。まず第一は、理性において考え方が変わることです。私たちは一本の弱い葦ですが、考える葦ではないでしょうか。次に、感性において自分の罪や悪を嘆き、悲しみ、悔いることです。そして第三に、意思において生き方を変えて、神様を信じて生きていこうと決断することなのです。
 聖書の言葉です。「主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」イザヤ書55章6節、7節

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