勇士たちであった
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2019.06.05
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 歴代誌第一 7章2節
- 放送日
- 2019.06.05
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがあるものですね。
今日も聖書を開きましょう。歴代誌 第一7章2節から「勇士たちであった」と題してメッセージをお伝え致します。
「トラの子は、ウジ、レファヤ、エリエル、ヤフマイ、イブサム、シェムエル。これらは彼らの父トラ一族のかしらたちで、その家系の勇士たちであった。」歴代誌は、サムエル記、列王記と非常によく似た内容でありながら、書かれた時代は異なります。それは、イスラエル王国が滅亡してバビロン捕囚という悲しい出来事が起こった後、エズラという律法学者によって書かれたとされているものです。ということは、歴代誌の著者エズラは、聖書に新たな歴史を加えるにあたり、サムエル記、列王記を参照しながら、それらとは違う意図を込めて書いたということになります。
そこで考えたいのは、この書を手にして読んだ最初の人々は、バビロン捕囚から解放されて、エルサレムに帰還し、エルサレムを再建しようとしている人々であったことです。彼らは廃墟と化したエルサレムを再建する困難に直面した人々で、励ましと目標を必要としていました。ですから当然、そのような意図があったといえるでしょう。実際読み進めてみると、この7章は私たち日本人には単なる名前の羅列にしか見えませんが、ユダヤ人には特別な意図を感じるものでした。
例えば、勇士という言葉が繰り返し出てきます。それはイスラエル再建を目指すために、捕囚の地から引き上げてきた者たちに対して、「あなた方の先祖たちには勇士がいた。あなた方も勇士であれ」と語りかけてくるものです。
また14節から19節には、マナセの子孫の名前が出てきますが、ユダヤ人には親しみのある名前です。彼らはこの名前を読むたびに、ヨシュア記17章に取り上げられている、弱い権利が保護されたエピソードを思い出すわけです。それが繰り返し取り上げられているのは、神の恵み深さを読者に覚えさせる効果があります。実に聖書は、困難を抱えている人々に、神の恵みの原則を語りかけてくるのです。神は恵み深いと信仰をもって歩みたいものですね。ではよき一週を祈ります。
今日も聖書を開きましょう。歴代誌 第一7章2節から「勇士たちであった」と題してメッセージをお伝え致します。
「トラの子は、ウジ、レファヤ、エリエル、ヤフマイ、イブサム、シェムエル。これらは彼らの父トラ一族のかしらたちで、その家系の勇士たちであった。」歴代誌は、サムエル記、列王記と非常によく似た内容でありながら、書かれた時代は異なります。それは、イスラエル王国が滅亡してバビロン捕囚という悲しい出来事が起こった後、エズラという律法学者によって書かれたとされているものです。ということは、歴代誌の著者エズラは、聖書に新たな歴史を加えるにあたり、サムエル記、列王記を参照しながら、それらとは違う意図を込めて書いたということになります。
そこで考えたいのは、この書を手にして読んだ最初の人々は、バビロン捕囚から解放されて、エルサレムに帰還し、エルサレムを再建しようとしている人々であったことです。彼らは廃墟と化したエルサレムを再建する困難に直面した人々で、励ましと目標を必要としていました。ですから当然、そのような意図があったといえるでしょう。実際読み進めてみると、この7章は私たち日本人には単なる名前の羅列にしか見えませんが、ユダヤ人には特別な意図を感じるものでした。
例えば、勇士という言葉が繰り返し出てきます。それはイスラエル再建を目指すために、捕囚の地から引き上げてきた者たちに対して、「あなた方の先祖たちには勇士がいた。あなた方も勇士であれ」と語りかけてくるものです。
また14節から19節には、マナセの子孫の名前が出てきますが、ユダヤ人には親しみのある名前です。彼らはこの名前を読むたびに、ヨシュア記17章に取り上げられている、弱い権利が保護されたエピソードを思い出すわけです。それが繰り返し取り上げられているのは、神の恵み深さを読者に覚えさせる効果があります。実に聖書は、困難を抱えている人々に、神の恵みの原則を語りかけてくるのです。神は恵み深いと信仰をもって歩みたいものですね。ではよき一週を祈ります。
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