とりなしをするな
- 出演者
- 羽鳥頼和
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.10.02
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] エレミヤ書 7章
- 放送日
- 2025.10.02
「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今週は、旧約聖書のエレミヤ書からお話しをしています。エレミヤは、およそ2700年前の中東にあったユダの国で活動をした預言者です。預言者は、神のことばを預かって語る人です。聖書の神は、これまでずっと羊飼いのように人々を守り、養い、導いてこられました。ところが当時の人々は、その神を信頼せず、異教の神々や世俗国家の力に頼って、神の言われることを聞かず、神から離れてしまったのです。
今日は、エレミヤ書の7章の後半からお話しをします。罪と悪を行い続け、神のことばに聞き従おうとせず、神に逆らい続けている人々に、神は預言者を通して、悔い改めて、神に立ち返るように語り続けてこられました。そしてとうとう、神は預言者に「人々のために祈るな。わたしにとりなしをしてはならない」と言われました。人々は、神から異教の神々を拝んではならないと繰り返し言われていたのに、神の言われることを全く聞かなかったのです。
そんな人々について神は言われました「彼らは聞かず、耳を傾けず、頑なで悪い心のはかりごとによって歩み、前進どころか後退して、先祖たちよりも悪くなった」
人々は、偶像に自分の子どもをいけにえとしてささげていたのです。そんな人々のために祈るなと神は言われました。それは、神が人々の罪と悪をさばくことを決定したことも意味しています。しかし、それは神が人々を見捨てることではありませんでした。神はあきらめていません。
人々のために祈ることをやめさせた神は、預言者に人々のために嘆き悲しむように命じます。人々がその姿を見て、自分たちがどんなに悲惨な状況にあるか気づかせようとされたのです。
神はわざわいを下して、人々の罪と悪を明らかにして、彼らに悔い改めさせようとなさっているのです。さばきにあっても、人が悔い改めるなら、神は必ず救い、回復を与えて下さるのです。
今週は、旧約聖書のエレミヤ書からお話しをしています。エレミヤは、およそ2700年前の中東にあったユダの国で活動をした預言者です。預言者は、神のことばを預かって語る人です。聖書の神は、これまでずっと羊飼いのように人々を守り、養い、導いてこられました。ところが当時の人々は、その神を信頼せず、異教の神々や世俗国家の力に頼って、神の言われることを聞かず、神から離れてしまったのです。
今日は、エレミヤ書の7章の後半からお話しをします。罪と悪を行い続け、神のことばに聞き従おうとせず、神に逆らい続けている人々に、神は預言者を通して、悔い改めて、神に立ち返るように語り続けてこられました。そしてとうとう、神は預言者に「人々のために祈るな。わたしにとりなしをしてはならない」と言われました。人々は、神から異教の神々を拝んではならないと繰り返し言われていたのに、神の言われることを全く聞かなかったのです。
そんな人々について神は言われました「彼らは聞かず、耳を傾けず、頑なで悪い心のはかりごとによって歩み、前進どころか後退して、先祖たちよりも悪くなった」
人々は、偶像に自分の子どもをいけにえとしてささげていたのです。そんな人々のために祈るなと神は言われました。それは、神が人々の罪と悪をさばくことを決定したことも意味しています。しかし、それは神が人々を見捨てることではありませんでした。神はあきらめていません。
人々のために祈ることをやめさせた神は、預言者に人々のために嘆き悲しむように命じます。人々がその姿を見て、自分たちがどんなに悲惨な状況にあるか気づかせようとされたのです。
神はわざわいを下して、人々の罪と悪を明らかにして、彼らに悔い改めさせようとなさっているのです。さばきにあっても、人が悔い改めるなら、神は必ず救い、回復を与えて下さるのです。
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