胸をときめかす

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2025.03.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 8章56~59節
[新約聖書] ペテロの手紙第一 1章8節
放送日
2025.03.22

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「胸をときめかす」という題でお話しましょう。恋人との初めてのデートの時、私たちは感情が高ぶり、胸がどきどきするものです。ユダヤ人の先祖であるアブラハムは、まだ見ぬイエス様が来ることを望み見て、胸を打ち震わせたのです。しかし、目の前に神の子イエス様を見ている人々は胸をときめかすこともなかったのです。ヨハネの福音書8章の56節からです。
さて、自分に悪意をむき出しにする人々に向かってイエス様はこう言われました。「あなたがたの先祖の父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そして、その日を見て喜んだ」あなたがたが尊敬し、信仰の父と仰ぐ、あなたがたの先祖アブラハムは、わたしが来る日を待ち望みながら、胸をときめかしていました。まだ見ぬわたしに会いたい、と心を躍らせていたのです。それなのに、あなたがたは今、この日、見ているわたしを拒んでいるとはどういうことですか。これを聞いたユダヤ人たちは、ますますイエス様に反発して言いました。「あなたはまだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」イエス様は彼らに答えられます。「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生まれる前から、わたしはいるのである」わたしは神だと言っているのです。そこで彼らは石を取り、イエス様に投げつけ、殺そうとしました。しかしイエス様は身を隠して、神殿から出て行かれたのです。イエス様は、「わたしは世のはじめから存在する神である」と言っているのです。それにしても、自分たちの考えに入らない人を排除し、石で打ち殺そうとする人たちの熱い情熱とはいったい何であるのでしょうか。
さて、翻って、私たちは胸をときめかすアブラハムですか。それとも、イエス様を殺そうとする人々ですか。私たちはイエス様を見たことはありません。しかし、イエス様を信じて、アブラハムのように言い尽くすことのできない輝きに満ちた喜びに溢れたいのです。聖書のことばです。「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今、見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない栄えに満ちた喜びに踊っています」ペテロの第一の手紙1章8節

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