影を照らす光-恵み

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 死や命について考えているとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2025.02.08
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 4章21~23節
放送日
2025.02.08

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。
今、多くの人のこころを覆い、人生をつまらないものだと思わせてしまう、人生を覆う影のような、雲のようなものがいくつかあると思います
そのひとつは、自分に対する無価値感。ふたつ目は孤独感、3つ目は虚無感。4つめは罪責感。そして、「怒り」という話をしました。 
人生はこうした黒雲や影によって覆われてしまうことが度々ありますね。
マルコの福音書4章に記されていますが、イエス・キリストはある時こんなたとえ話をなさいました。「明かりを持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません」こうお話しになったんです。
当時の「明かり」は、精製された油ではありませんから、やたらと煙や煤が出るわけですよね。明かりをフッと消したりすると、煙がもこもこ出ます。ですから、どのように消したかというと、枡を持って来て、すっぽりかぶせてしまうわけです。そうすると煙が外に出ないわけですね。枡の下に置くというのは、そういう意味があるわけです。イエス・キリストは、すべての人を照らすまことの光として、世の光として、あなたを照らす光として、来て下さいました。でも、どうでしょう。まるで枡の下に置かれたような、そんな生涯を送りました。「すべての人を照らすまことの光」なのに、人々は、この方を理解せず、受け入れようとはしませんでした。でも、「隠れているものは必ず現れる」と語られています。イエス・キリストは、まるで明かりに蓋がされているような人生を送りました。そして最後はあの十字架の苦しみを背負われたのです。しかし、3日目に復活されたのです。このイエス・キリストは今も活きていて、全ての人を照らすまことの救い主として、いま、私たちの前に明らかにされているのです。
私たちは自分の人生を覆ってしまう、たくさんの影のようなものを持っています。しかし、いま、聖書は私たちにはっきりと伝えています。それは、イエス・キリストこそ、あなたの人生の道を照らし、憩いを与え、救いを与えることのできるお方だと。暗闇は光がそこにともると必ず消えていきます。イエス・キリストは光なるお方として来てくださいました。この方によって、人生を覆う影は、そして黒雲は取り除かれていくのです。だからイエス・キリストを信じ、歩んでいきましょう。

コメント

永井明
聖句を頂きはげみになります、
私に大いなる光りをイエス様お与え下さいませ。ハレルヤ

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