神さまって何?…私の復活の命
- 出演者
- 黒木昭江
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 孤独や悲しみを覚えるとき
- 死や命について考えているとき
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2024.09.20
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 11章25節
- 放送日
- 2024.09.20
「世の光」の時間です。今週は名古屋市の富田キリスト教会・金山キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けしています。
70代、80代の方々からよく聞く話です。同年代の友だちが、人生の黄昏どきを迎えて、神や信仰に興味を持つようになった。そして、神とは何か、信仰とは何かを、追求するのですが、しかし困ったことに、神は目に見えず、辞書を引いても明らかにはなりません。
聖書は、見えない神が見える存在として現れた、それがイエス・キリストだと語ります。そしてイエス・キリストは、ご自分がどのような神であるかを、具体的なモノにたとえて説明されました。今週は、その、イエス・キリストのことばをご一緒に聞いていますが、金曜日の今日は、ヨハネの福音書11章25節、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」ということばです。
1969年、エリザベス・キューブラー・ロスという精神科医が『死ぬ瞬間』という本を出版してベストセラーになりました。その本によれば、人は死に直面したとき、5段階の心のプロセスをたどるそうです。最初は、自分が死ぬはずないと否定し、やがて気持ちは怒りに変わります。しかし最後には死を受け入れるようになる、というのです。
信仰があってもなくても、人は皆、人間です。死に直面すれば、誰もが動揺し、葛藤するでしょう。
けれどもクリスチャンたちは、それだけでなく、別のプロセスも歩みます。重い病の中で、日に日にキリストの存在が大きくなり、肉体の生命にこだわるよりも、永遠に自分を迎え入れてくれる天国への希望が強くなっていく、そのような先輩クリスチャンの姿を私は何度も見させていただきました。それは、キリストのことば、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」という約束が、真実であることの、何よりもの証拠ではないでしょうか。
神は私たちが旅立つときも孤独にしません。死を経て、永遠の平安へ、私たちを迎え入れてくださるのです。
70代、80代の方々からよく聞く話です。同年代の友だちが、人生の黄昏どきを迎えて、神や信仰に興味を持つようになった。そして、神とは何か、信仰とは何かを、追求するのですが、しかし困ったことに、神は目に見えず、辞書を引いても明らかにはなりません。
聖書は、見えない神が見える存在として現れた、それがイエス・キリストだと語ります。そしてイエス・キリストは、ご自分がどのような神であるかを、具体的なモノにたとえて説明されました。今週は、その、イエス・キリストのことばをご一緒に聞いていますが、金曜日の今日は、ヨハネの福音書11章25節、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」ということばです。
1969年、エリザベス・キューブラー・ロスという精神科医が『死ぬ瞬間』という本を出版してベストセラーになりました。その本によれば、人は死に直面したとき、5段階の心のプロセスをたどるそうです。最初は、自分が死ぬはずないと否定し、やがて気持ちは怒りに変わります。しかし最後には死を受け入れるようになる、というのです。
信仰があってもなくても、人は皆、人間です。死に直面すれば、誰もが動揺し、葛藤するでしょう。
けれどもクリスチャンたちは、それだけでなく、別のプロセスも歩みます。重い病の中で、日に日にキリストの存在が大きくなり、肉体の生命にこだわるよりも、永遠に自分を迎え入れてくれる天国への希望が強くなっていく、そのような先輩クリスチャンの姿を私は何度も見させていただきました。それは、キリストのことば、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」という約束が、真実であることの、何よりもの証拠ではないでしょうか。
神は私たちが旅立つときも孤独にしません。死を経て、永遠の平安へ、私たちを迎え入れてくださるのです。
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