泣かなくてもよい②

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 愛する人を失ったとき
  • 死や命について考えているとき

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アップロード日
2024.07.02
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 7章11~17節
放送日
2024.07.02

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週は一人息子が先に死んでしまった女性の悲しみを見た時、イエス様が「かわいそうに思われた」という箇所から学んでいます。
この「かわいそうに」ということばは、「はらわたがちぎれるほど」という意味があります。ある意味、私たちにとって、神とは超越した存在で、神が人間の悲しみになど引きずられることはないと思います。しかし、イエス様という方は、悲しみのなかにある私たちを見て、心が揺さぶられ、内臓に痛みを覚えられるのです。
そして言われました。「泣かなくてもよい」「もう泣かなくてもよい」と言われました。「泣くな」ではありません。「もう泣き続けるな、泣くのはこれで終わりだ」という響きではありません。「いつまでも泣いていても仕方がないから、いいかげんに泣き止んで日常の生活に戻りなさい」というような、虚しく響く叱咤のことばでもありません。イエス様は「十分泣いて良い」「しかし、泣き続けなくて良い」
旧約聖書には哀歌という箇所があります。悲しみの歌と記されています。聖書はきちんと泣くこと、嘆くこと、悲嘆に暮れることを大切にしているのです。嘆きを神様に聞いていただくこと。嘆きを神様に届けようとすること。それが祈りとなっていくのです。私たちの信じる聖書の神は、私たちの悲しみをきちんと悲しむように促されます。
私は学生時代、失恋したことがあります。その時に思ったことは「これはやがて失恋した人に出会った時、『俺もその気持わかるよ』と言えるようになるための経験なんだ。神様の与えてくださった良い経験として、やがて用いられるんだ」と思い込もうとしました。不健全な感情だったと思います。本当は悲しいんです。本当は泣きたいんです。本当は怒りたいことだってあるんです。そこでイエス様は一緒に悲しんでくださる。ちゃんと泣けと言ってくださるのです。そして「私があなたの涙を拭うよ。十分泣いたら、もう泣かなくてよいようにするから」と言われます。今日、皆さんは本当は泣きたいことがありませんか。イエス様はあなたの涙を受け止めてくださいます。イエス様の前で泣いてみませんか。

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