キリスト教につまずいても

出演者
黒木昭江
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2024.06.15
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 19章16~26節
放送日
2024.06.15

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「世の光」の時間です。今週は、名古屋市の富田キリスト教会・金山キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けしてきました。
最終日の今日は、救いを真剣に求めていた青年のエピソードを、聖書の中からご紹介します。
この青年は品行方正で、また社会で指導的な立場にある有力者でした。彼はイエスのもとを訪れて、どうしたら救われるのかと真摯に尋ねたのです。
イエスは、あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい、とおっしゃいました。青年が「それはもう実践しています」と答えると、イエスは、なんと「あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい」と言われたのです。確かにそうできれば、貧しい人々は助かります。でもだからと言って、自分の生活を犠牲にしたら、今度は自分が貧しくなってしまいます。青年はがっかりして、イエスの前から去って行きました。
じつはイエス様には深い意図がありました。本当の隣人愛は、自分を犠牲にしてでも相手を助けるはず。でも自己犠牲は簡単ではありません。ということは、究極的には、私たちは隣人愛を実践できない者なのです。イエスは青年に、そのような、自分の本当の姿に向き合って欲しくて、語られたのです。
イエスの弟子たちは、このやり取りを見聞きして「一体誰が救われることができるのでしょう」と訊きます。イエスは、「人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます」と宣言されます。
善行を積めば救われるのではありません。神が人を一方的な恵みで救ってくださいます。その救いを受け取った時に、人は、隣人愛を実践できる者へと造り変えられていくのです。
青年は、「神にはできる」というイエスの宣言を聞く前に去って行ってしまいました。戸惑いながらでも、イエスの前から去らなかったなら、その恵みのことばを聞けたはずです。
番組をお聞きの皆様も、もしかしたら、聖書のことばが時々、分かりづらいかもしれません。でもその先に、神様の恵みを知るチャンスが備えられています。明日は日曜日です。ぜひ、お近くの教会へいらしてください。また、続けて来週も、番組をお聞きください。

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