ルカの福音書 143

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 一歩踏み出したいとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2024.02.29
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 6章
放送日
2024.02.29

いいね登録

     登録数:20

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週は固い土台の上に立てられた人生と、土台のない人生との違いについて、イエス様が弟子たちにお話になった箇所です。弟子たちは「自分たちは信仰の目が見えている」と思っていたのです。しかしイエス様はルカの福音書でこうおっしゃいました。「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取り除かせてください』とどうして言えるのですか。偽善者よ。まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、兄弟の目のちりがはっきり見えるようになって、取り除くことができます」
目のチリ、目の梁とは人の罪のことです。あなたは自分こそが正しいと思っている。そして人を裁いている。しかしイエス様の目から見ると、人を罪に定め、人を裁いているあなたの目の中には「太くて」「かたくて」丸太のような梁が横たわっているよと言われるのです。
実は見えている、分かっていると思っているあなたは「何も見えていないではないか」自分の目の梁があるにも関わらず、人のチリが見えるというのは偽善だと。偽りの正しさだとイエス様は仰るのです。そんなあなたが人を導こうとしている。それでは土台の無い家と同じようになっているし、いざという時に、簡単に壊れる。人を裁いて、自分は悪いとは思わない人生がひどい壊れ方をするというのは、私たちに分かることだと思います。そこにはイエス様の土台がありません。イエス様のことばを聴いて実践する土台がないのです。
そしてイエス様の土台とは、愛の土台です。愛の土台の上に立った人生は、人を裁きません。愛のない土台の上から聴こえてくる指導のことばも、指導方法も、結局人間関係が壊れていきます。このことをイエス様は弟子たちに警告されました。今日、私たちも自分の目の中にある太い梁に気が付きたいと思います。他人を裁けるような自分ではないことを認めたいと思います。そしてそんな自分をそれでも赦し、あわれんでくださる神様の愛に土台を置きたいのです。イエス様の愛の土台は強固です。私たちの人生を押しつぶそうとしてくるものからあなたを守ってくれます。そのために今日私たちは、自分の太いハリを取り除いていく祈りをイエス様におささげしたいと思います。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ