憎しみに触れるイエス

出演者
入江 告(日本同盟基督教団 豊田神池キリスト教会)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.02.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 4章
放送日
2024.02.12

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「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。私は愛知県豊田市にある、豊田神池キリスト教会の牧師、入江告です。
先日ニュースを見ていると、戦争で争っている国々のそれぞれの言い分が紹介されていました。その中には「明らかに自己中心的だなぁ」と思えるものもあれば、「確かにそちら側から見ればそう思っても仕方ないかもしれない」と考えさせられるものもありました。
人の憎しみということを言えば、私たちも日々生きる生活のどこかで人の憎しみにぶつかります。しかも心の奥底で「本当は仲良くしたい、本当はこの人を愛したい」という思いがあるのに、その思いを裏切られた時や無視された時に憎しみが抑えられないということもあるのではないでしょうか。
イエス・キリストはある時、人々の憎しみの真ん中に来られました。ヨハネの福音書4章5節で、イエスはサマリアという町に行かれ、そこにある井戸に腰掛けます。すると一人のサマリア人女性が井戸の水を汲みにやってきました。時間は日差しが暑い、昼の正午頃です。この女性にイエスは「水を飲ませてください」と言いました。しかし、女性は怪訝な顔をします。「あなたはユダヤ人なのにどうしてサマリア人の私にお願いするのですか?」当時、イエスを含めたユダヤ人とサマリア人は大変仲が悪い状態でした。長い歴史の中でお互いに憎み合い、相手の土地に入ろうとしない、一緒に食事もしない、会話もしない。そうやって「あの人たちはこうだ」と決めつけ、憎み合っていました。
これは私たちの姿でもあります。どこかの国の話ではなく、身近な夫婦や親子、兄弟や友人に対して「どうせあの人は変わらない。何を言っても無駄だ。期待するだけ自分が傷つくから関わることをやめよう」と相手を決めつけ、諦め、憎んでいく。そこには長年蓄積された「私のことを大切にしてくれなかった」という傷ついた思いがあることでしょう。
イエスはその憎しみと悲しみの心のそばに来てくださいます。井戸に腰掛け「水を飲ませてください」と言ってあなたの心を解きほぐし、決めつけや偏見であなたを見ず、あなたという一人の人格を知ろうとしてくださる。そして、憎しみにがんじがらめになっている私たちを愛に満ちた生き方へと導こうとされます。

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