五千人の給食(その一)”我を忘れて”

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.11.29
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章
放送日
2023.11.29

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか?板倉邦雄です。今日は「五千人の給食(その一)”我を忘れて”」という題でお話しましょう。
今日から、神の子イエス様が5つのパンと2匹の魚で五千人以上の人々の空腹を満たしたというしるし、すなわちサインをヨハネ福音書6章から見ていくことにします。第1回は、五千人の給食の場所と時と状況です。
まず、場所ですけれども、イエス様の一行はエルサレムの都からふたたびガリラヤ湖に帰ってきました。そして、6章3節を見ますと、イエス様と弟子たちはガリラヤ湖の近くの山に登られた、と記されています。五千人の給食という、しるし、サインが実行された場所は人里離れた山のふもとであったということです。すなわち、近くに魚市場もなければ、パン屋もない、人里離れた山の近くで行われたということなのです。
では次に、どのような時であったかということですが、4節には「時に、ユダヤ人の祭である過越の祭が間近になっていた」と書かれています。イエス様と弟子たちの思いは、過越の祭まではしばらく自分たちの身を隠しておこうという計画だったかもしれません。人々に会うために山に行く人はいないでしょう。また、聖書の他の福音書の並行記事からもわかることは、この五千人の給食の事件は、洗礼者ヨハネの殉教死後すぐに起こっています。ですから、ヨハネを殺害した暴君ヘロデを避けたかったからかもしれません。
では第三に、どのような状況だったのでしょうか?ヨハネはこのように書いています。「すると、大勢の群衆がイエスについてきた。病人たちになさっているしるしを見たからである」多くの群衆がイエス様の一行を追いかけてきたのです。朝、出発して、やがて1日が終わろうとする夕方近くになっていたようですね。なんと、ガリラヤの人たちは寝食も忘れるほど、イエス様を熱烈に慕っていました。彼らはイエス様の教えを求めていました。病気の人や貧しい人という弱者をイエス様に助けてもらいたかったからです。その一心で我を忘れて、人里離れた場所で夜を迎えることになることも気にしなかったのです。私にもそのような主イエス様への熱い思いを与えられるように祈っています。

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