人からの誉れを
- 出演者
- 板倉邦雄
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 孤独や悲しみを覚えるとき
もっと詳しく見る
- アップロード日
- 2023.11.27
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 5章41~44節
[旧約聖書] 申命記 6章4、5節節
- 放送日
- 2023.11.27
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか?板倉邦雄です。今日は「人からの誉れを」という題でお話しましょう。ヨハネの福音書の5章41~44節です。
私たちは人々からの評判、いわゆる拍手や喝采を受けたいのです。人々から名誉や誉れを受け、褒められたいのです。そのために私たちは故郷を捨て、愛する者たちを捨てることもありますね。ところが、神の子イエス様は「わたしは人からの誉、評判を受けることはしない」と言われました。唯一の父なる神様からの誉れと名誉だけを求めていたからです。なぜなら、人からの評判や名誉はその時代によって変化するからですね。これまで裏切り者の代名詞だった、織田信長の家臣、明智光秀の評価が今日、変わりつつあります。このように、人々からの評判、誉れを受けたいと欲する人々は、父なる神様への愛がないことを神の子イエス様はよく知っていました。ですから、42節で「しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がない」と言い切ったのです。モーセの律法を守れ、と言いながらイエス様のことを反対する人々はモーセの律法のもっとも大切な命令を守っていませんでした。その命令とは、「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(申命記6章4-5節)そして続けて、神の子イエス様はこう言われました。「わたしは父なる神の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるであろう。互いに誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか」と語りました。神の子イエス様は、父なる神の名を高め、父なる神のみの栄光を求め続けたのです。しかし、父なる神を愛していない人々は自分自身を高く上げ、栄光と誉れを自分自身に帰してまいりました。互いに人からの評判、誉れを求め続けたのです。
さて、私たち人間の最高の目的は何でしたか?それは、神の栄光、すなわち誉れを表し、神を永遠に喜び楽しむことではなかったでしょうか。
私たちは人々からの評判、いわゆる拍手や喝采を受けたいのです。人々から名誉や誉れを受け、褒められたいのです。そのために私たちは故郷を捨て、愛する者たちを捨てることもありますね。ところが、神の子イエス様は「わたしは人からの誉、評判を受けることはしない」と言われました。唯一の父なる神様からの誉れと名誉だけを求めていたからです。なぜなら、人からの評判や名誉はその時代によって変化するからですね。これまで裏切り者の代名詞だった、織田信長の家臣、明智光秀の評価が今日、変わりつつあります。このように、人々からの評判、誉れを受けたいと欲する人々は、父なる神様への愛がないことを神の子イエス様はよく知っていました。ですから、42節で「しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がない」と言い切ったのです。モーセの律法を守れ、と言いながらイエス様のことを反対する人々はモーセの律法のもっとも大切な命令を守っていませんでした。その命令とは、「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(申命記6章4-5節)そして続けて、神の子イエス様はこう言われました。「わたしは父なる神の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるであろう。互いに誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか」と語りました。神の子イエス様は、父なる神の名を高め、父なる神のみの栄光を求め続けたのです。しかし、父なる神を愛していない人々は自分自身を高く上げ、栄光と誉れを自分自身に帰してまいりました。互いに人からの評判、誉れを求め続けたのです。
さて、私たち人間の最高の目的は何でしたか?それは、神の栄光、すなわち誉れを表し、神を永遠に喜び楽しむことではなかったでしょうか。