夕あり、朝あり

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.11.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 創世記 1章
[旧約聖書] 詩篇 30篇5節
放送日
2023.11.25

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。今週は聖書の創世記の中からご一緒に人生を考えてきました。旧約聖書の創世記という書物は、すべてのものの「はじまり」「ルーツ」が記されています。最初の書き出しは、「はじめに神が天と地を創造された」という一文から始まります。
この世界が形造られたとき、そこは闇に覆われた混沌としていた世界でした。しかし神様が「光、あれ」と仰せられると、光がもたらされたのです。
そして、こう記されています。「神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日」 この「第一日」ということばを今と同じ24時間と考えるのか、それともある一定の期間を表すのか、様々な説があります。しかし、大切なのは、神様がこの世界を創造られたということです。この「夕があり、朝があった」と書かれていますが、なぜ「朝があり、夕があった」ではないのでしょう。私たちにとって一日の「はじめ」のイメージは、朝ですよね。「新しい朝が来た。希望の朝が」とですね、ラジオ体操でもよく歌いました。朝というのは、新鮮ですし、朝日はとても心地よいものです。一方、夕方は、黄昏時です。日が沈み暗くなっていくわけですから、終わりのイメージがあります。ところが、創世記の天地創造の記事では、最初に夕を迎えてから朝が訪れるのです。
この書き方に、私たちは自分の人生を重ね合わせて考えることができるのではないかと思うのです。私たちは、いつも朝のようにさわやかな人生を求めます。しかし、それは決して長く続くわけではありません。でも、聖書は、夕のあとに朝が来ると教えています。詩篇30篇5節には「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」と書かれています。私たちの人生には、夕暮れに涙する時があります。しかし、その後に朝が来るのです。涙のあとには、喜びが来るのです。しかし、また夕になります。神様は、朝だけでなく、夜も創造なさいました。神様は、私たちに喜びだけではなく、苦しみや涙もお与えになります。しかし、それは神様が冷たい方だからではなく、夕があり朝があるからこそ、私たちは人として大切なことを学びながら、生きていくことが出来るのではないかと思うのです。夕があり朝が来るということは、私たちはいつでも希望を持って生きていくことができる、ということでもあるのですね。

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