偶然ではなく

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2023.11.21
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 創世記 1章1節
放送日
2023.11.21

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。今週は聖書の創世記の中からご一緒に人生を考えていきましょう。旧約聖書の創世記という書物は、すべてのものの「はじまり」「ルーツ」が記されています。最初の書き出しは、「はじめに神が天と地を創造された」というこの一文から始まります。
それは私たちに何を教えてくれるのでしょう。それは、私たちの存在は決して偶然ではない、ということを教えてくれるのです。
「すべてのものは偶然にできた」と考える人はたくさんいます。もし偶然が重なり合ってすべてのものができたとするなら、人は何の意味も目的も見いだすことができません。偶然が重なってこの世界ができたと考えることは、考えれば考えるほど難しいことです。たとえば、サイコロの目は6つありますね。その目のひとつ、たとえば1が出るのは、確率は6分の1です。それでは、同じ目が続けて12回出る確率はどのくらいになると思いますか?それは、2176782336分の1の確率なんです。たった同じ目が12回出るだけでも気の遠くなるような数の偶然が重なる必要があるわけです。ましてや、この世界のすべてのものが偶然から生まれたとするなら、荒唐無稽で到底信じがたいことだとは思いませんか。今、私の手元にiPadがあります。「箱の中に数種類の金属を入れて振っていたら、いつのまにか偶然にこのiPadが出来たんですよ」と私が説明したら、あなたは信じますか。誰も信じませんね。ですから、聖書をあまり知らなくてもこの宇宙を眺め向き合うとき、この世界には、「何か偉大な存在」があるのではないかと感じる人はたくさんいるのです。聖書は、その「何か偉大な存在」、この存在こそ、天地を創造された神様だと教えているのです。
もし「すべてが偶然だ」というふうに生きていこうとするなら、そこには、自分の存在の意味も目的も見いだすことが出来ません。しかし、聖書は最初の一行目から、この世界は偶然によってできたのではなく、神様によって「造られたもの」だと教えているのです。もしそうであるなら、造られたものには、造り手の意図や目的が必ずあります。そして、聖書には「神は愛です」と書かれています。愛には、必ず愛する対象があります。私たちは、神様の愛を受ける対象として、神様に無条件に愛される存在として創造されたのです。

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