あなたは休んでいますか? 1

出演者
豊田信行
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2023.05.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 8章
放送日
2023.05.22

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。ニューライフキリスト教会牧師の豊田信行です。今週、聖書が約束する安息について学びたいと思います。
「安息」ということばを辞書で引くと、精神的な緊張・不安がない状態とあります。多くの人にとって、安息とは、心配事が無い状態なのでしょう。確かに、心配事がないと心は穏やかです。誰もが心穏やかな毎日、人生を送りたいと願っています。
子どもの頃とても怖い体験をしました。大型台風の接近に伴い、海がしけ始める中、出航した船に家族で乗っていました。海がますます荒れ始め、船は右に左に傾き、あちこちで悲鳴の声が上がりました。生きた心地がしないとは、まさにこういう体験なのでしょう。船が無事に港に着岸したとき、船内から歓声と拍手が起こりました。
私たちの日々の生活にも突然の嵐に見舞われる、いろんな問題が高波のように押し寄せ人生が、大きく揺さぶられるようなことがあるかもしれません。今まさに人生の嵐に遭遇し、心が揺さぶられ、何かにすがりたい思いを抱いておられる方がおられるかもしれません。
聖書の中にも同じようなエピソードが記されています。あるとき、ガリラヤ湖上でイエスと弟子たちを乗せた船が突然の嵐に遭遇しました。小さな船は波をかぶり、沈みそうになりました。弟子たちは、必死に水をかき出したのですが、いよいよ力尽きて手が止まった時、船尾で眠っておられたイエスに助けを求めたのです。
イエスは起き上がると風と波を叱りつけられました。すると、風は止み、波は凪になったのです。弟子たちは驚き、恐れて互いに言い合いました。「お命じになると、風や水までも従うとは一体、この方はどういう方なのだろうか」
弟子たちは、自分たちを恐怖のどん底に陥れた暴風と高波を叱りつけ、従わせたイエスに驚き、畏怖の念を抱きました。
「畏怖の念」とは、恐怖心とは異なり想像を絶する偉大さに触れ、身と心を震わせることです。聖書が教える安息とは、心配事が無い状態、凪の状態ではありません。人生の波風を鎮めてくださるお方に対して「お命じになると、風や水までが従うとは一体、この方はどういう方なんだろうか」と畏怖の念を抱き、弟子たちと同じように身と心震わせる時、この方の存在感によって私たちの騒ぎたつ心は静けさを取り戻し、穏やかにさせていただけるのです。イエス様に助けを求めていただきたいと思います。

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