からし種のたとえ

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.01.11
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 13章
[新約聖書] ルカの福音書 17章
放送日
2023.01.11

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
イエス様は、こんなたとえ話をされました。「天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。」
からし種を見たことがありますか。それはとても小さな種です。しかし、それが蒔かれ、成長すると、なんと鳥が来て、枝に巣を作るほど大きな木になるというわけですね。
天の御国が、このからし種のようなものだというのはどういう意味があるのでしょう。たとえ話の中のイエス様が言われた「天の御国」というのは、死んだ後に入る天の御国という意味ではありません。聖書では、「天の御国」を「神の国」ともいいます。それは神様の支配の中で生きるということを意味しているのですね。
ルカの福音書17章のなかでこんな出来事ことが書かれています。当時の宗教家たちがイエス様に「神の国はいつ来るのか」と尋ねたのです。彼らが考えていた神の国とは、ローマの圧政から救い出し自由を謳歌できる国を考えていました。しかし、イエス様はこう彼らに答えられたのです。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」こう言われたのです。
イエス様は神の国は、目に見える形で来るものでなく、あなたがたのただ中にあると言われたのですね。つまり、救い主イエス様が来てくださったなら、その場所こそ神の国なのだというわけです。私たちのことを考えるなら、救い主イエス様を心に迎いいれて、信じ受け入れるなら、うるわしい神の国がその人の内に到来するのだということになるわけです。
救い主を信じ生きていく時、大きな変化が起こらないかも知れません。まるで、最初は、どこにあるのか分からないような小さな小さなからし種のような存在に見えるかも知れません。しかし、種はやがて大きく成長し、多くの人に休息と安息を与えるものとなっていくと約束されているのです。
天の御国は、私たちのただ中にあるのです。私たちの内に蒔かれたからし種は、小さなものとしか見えないかもしれません。しかし、この小さな種は限りない可能性を与えられている素晴らしい種でもあるのですね。

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