ルカの福音書-113 信仰を持つってどういうこと?

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.11.28
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 5章
放送日
2022.11.28

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。鳩ヶ谷福音自由教会牧師の大嶋重徳です。
私の担当週ではルカ福音書を順番に読んでいます。ルカ5章でイエス様は「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです」と言われ、この当時、差別を受けて嫌われていた取税人レビをご自分の弟子とされました。
取税人レビは嬉しくて、仲間の取税人たちとイエス様をお迎えしておう飯振舞の大宴会をしたのです。イエス様も弟子たちもその感謝のお祝いの席で一緒に食べたり飲んだり、楽しそうに食事をされました。
しかし、それを当時の宗教指導者のパリサイ派の人たちが批判したのですね。「罪人が悔い改めた後の信仰はそれでいいのか」と「自分の罪に悲しんでいるものが宴会でごちそうを食べてお酒を飲んだりできるんですか?」と言ったわけです。例えば、子どもが親に叱られて泣いて「ごめんなさい」って言う。そして、そのまま目の前にあるお菓子に手を出そうとしたら、「おいおい、本当に反省しているのか」と親に叱られるでしょう。罪人が悔い改めさせるために来たと言って宴会で食べて飲んでいるのは本当の悔い改めなのか、本当に罪に悔い改めたのなら、もっと誠実さを表現するために、むしろ断食をして祈りに専念するというのが当然じゃないかと考えたのです。
彼らパリサイ派は週に二度、月曜と木曜日に断食をしていました。そういう信仰生活を送っていたのです。「信仰に熱心な者であれば、食べ物をむしろ断つのが当然なのだ」と。それを「イエスよ、あなたは教師として教えるべきだろう」それが彼らの信仰の指導方法でした。「あなたとご飯を食べているこの取税人は悔い改めたのでしょ?今までのことを悪かったとお詫びしたんでしょ? お詫びをしているなら、どうして涙を流して今までのことを悪かったと言って断食しないのか?食の一つも断ってお詫びのお祈りをするようにさせるのが当たり前でしょう。そんなに愉快に飲み食いすることと罪を認めることが一つになるのですか?それでは不真面目ではないか。」そう考えたわけですね。
今週、私たちは信仰を持って生きるとはどういう信仰の姿勢になるのかということを考えたいと思います。果たしてクリスチャンになるのは、ストイックに禁欲主義に歩むことでしょうか?一緒に見てまいりましょう。

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