罪とは的外れ

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.09.09
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 2章17節
放送日
2022.09.09

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
ある動物園で、世界で最も恐ろしい生き物と名づけられた檻があったそうです。恐る恐るその檻に近づいてみると、鉄板で囲まれた物々しい檻の正面に覗き穴があるのです。覗いてみてびっくり!その、のぞき穴の正面には鏡がおいてあり、なんと自分の姿が映し出されている…というわけですね。
教会に来られたり、聖書を読んでいると、気になることばの一つは「罪人」ということばだと思います。聖書で言う罪とは、もともと「的はずれ」という意味です。本来の状態からズレてしまっているという意味なんですね。ですから、罪人とは、ズレ人です。
ちょっと体の事を考えてみましょう。たとえば、体調がおかしく病気になるということは、どういうことでしょうか。それは正常な状態からズレてしまっているということですね。
私たちの心はどうでしょう。あなたは今日、心に安心感がありますか。また本来、人は愛されるべき存在ですよね。愛に生きるという姿は、正常な姿です。しかし、それがズレたらどうなるでしょう。そこには憎しみが、そして分裂がはじまります。そして大きな痛みを持つようになるのです。
また、生きる意味がわからなければ、むなしさがでてきます。でも本来、人は、神様に創造された、造られたものですから、生かされているだけで、存在そのものの中に意味があるし、価値があるはずです。
でも、ズレが生じているとどうでしょう。生きていてもしょうがない、自分なんて価値がないと勝手に見積もってしまうこともあるのです。
聖書は、人が神様に背を向けているということが、人間の根本的なズレなのだ、罪なのだというのです。ちょうど子どもが親から離れて迷子になってしまったとき、大きな不安を抱えてしまいますよね。それと同じように、心の奥底のズレは、私たちにいいにしれぬ不安や、むなしさ、そして、終いには神様への反発を生み出していくのです。これはほっとけないですね。
罪人とはズレ人のこと。体がズレているなら、すぐに治療のためにそのズレを治すでしょう。聖書のことばをお聴きください。
マルコの福音書2章17節「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
イエス・キリストこそ、私たちのズレを癒やすことのできるお方なのですね。

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