ルカの福音書-72 縛りつける言葉ではなく

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2021.09.14
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 4章
放送日
2021.09.14

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所、ルカ4章の続きでは、イエス様が会堂で聖書を教えられたときのことが記されています。
 この時代、イエス様の説教が直接聞けたのです。私は説教者として、イエス様の肉声の説教を聞いてみたかったなあと思います。どれだけ情熱的に、どれだけ喜びにあふれ、どれだけ聖書のことばに感動したのだろうかと思います。
 この当時の人々の感想が残っています。「イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。」人々は皆、イエスをほめ、その口から出てくる恵みのことばに驚いた。イエス様の説教のことばを聞いて称賛し、このことばは、「あがめた」という意味のことばです。つまり、神様をあがめることばが人々の思いに生まれたのです。
 ここに、一つの説教のモデルがあります。つまり聖書の説教は、神様をあがめる思いが生まれるということです。人があがめられるのではありません。私も説教しながらいつも願うことは、神様のことをもっと知りたいと願う人が起こされることです。もし、「先生の話は上手ですね」と言われると、間違いなく落ち込むでしょう。自分の話の上手さ、あるいは下手さしか残らなかったのかと。何が問題だったのだろうかと反省します。
 さらに、イエス様のことばは恵みのことばでした。イエス様のことばは「福音」と言われます。「福音」とは、「良き知らせ」という意味のことばです。グッドニュース、これを聞かずしていられようかと人々が思うようなことばでした。
 恵みのことばの逆のことばは何でしょうか。それは、あなたは何々してはならないと律法で縛ることばとなるでしょう。教会で語られることばも、イエス様のことばのように恵みのことばでありたいと思います。説教は、何々せねばならないと言った方がむしろ準備は簡単です。しかし、その「ねばならない」に生きることの難しい罪人の自分を、助けて、生かしてくれる、恵みの響きを聖書の説教はもっている必要があります。
 その時、私たちは今週も、このことばを聞くために、自分の大切なあの人をここに連れてきたいと思います。もし自分には分かるけれども、自分の家族にはピンとこないだろうなと思える説教であるならば、それは恵みのことばではないでしょう。
 人が決してあがめられず、神があがめられ、人を縛りつけることばではなく、恵みを受け取りたいと願うような福音のことばを、イエス様から受け取っていく今日の一日でありたいと思います。

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