十戒-自由への励まし123 欲しがってはならない

出演者
大嶋重徳
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制作
一般財団法人 太平洋放送協会
タグ
  • 死や命について考えているとき

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アップロード日
2019.09.19
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.09.19
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる、神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書の言葉は、人間を縛りつけるものでなく、自由へと導くための言葉なのです。
 十戒の第十の戒めは「欲しがってはならない」です。新約聖書の中で、イエス・キリストが次のたとえを話されました。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。』そして、自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」 
 この箇所は、非常に文学的な表現を持っている箇所で、私という言葉が繰り返し出てきます。また、安心して食べて飲んで楽しめには、接続詞がまったくなく、自分の人生に酔っているような、たたみ掛けるような表現がされています。貪欲とは、私の財産、私の倉、私をめぐる生き方です。しかし、私の人生だ、私の財産だと、すべて私を中心に考え、自分の人生を握り締め、さあ食べて飲んで楽しもうとしている人生も、「愚か者よ、今夜、おまえのたましいは取り去られる」と神が語られると、私たちが欲しがってきたものをすべて失ってしまうというのは、人生の厳粛な事実です。
 このイエス・キリストのたとえ話は、人生の最後の日を強く意識させられます。あなたがいろんな妄想をし、戦略を練り、手に入れようと画策して欲しがったものは、果たして、あなたが死んでもなお、永遠に残るものなのかと問いかけてくるのです。
 十戒 第十の戒めは、人生を終りから見つめるようにしてくれます。それは、あなたの人生に本当に欲しがるべきものなのですか? あなたの人生で、それを得るために、それほど時間をかけるべきものなのですか? 私たちは人生の終り、すなわち死を考えるときに、私たちの自分の力で手に入れたと誇ってきたものより、神様が与えてきて下さったものの方が豊かであることに気がつくでしょう。そして、手に入れたと思ったものでさえ、神様の与えて下さったものであったと気がつくのです。

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