狭い門から入るとは

出演者
堀 肇
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.06.09
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 7章13、14節
放送日
2022.06.09

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「世の光」の時間です。皆さん、お元気でしょうか。鶴瀬恵みキリスト教会牧師の堀肇です。
今日も「そういえば、どこかで聞いたことがある。読んだことがある。」というような聖書の名言の一つを取り上げてみたいと思います。
マタイの福音書7章13~14節に出てくる「狭い門から入りなさい」ということばです。ところで、このことばを聞くと、すぐアンドレ・ジッドの名著「狭き門」を思い出される方もあると思います。そのタイトルはこのマタイの福音書から取られたものなのですね。みことばの全体を読んでみます。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。」というのです。
このことばは名言ではありますが、誤解の多いことばでもありまして、キリスト教の信仰に入るには厳しい修練を経て、それこそ受験勉強のようにがんばって狭き門から入るのではないかと考えている人が意外と多いのではないでしょうか。
「こんないいかげんな生活をしていては教会に行かれない」と言われる方もよくあるのですね。ある意味で真面目な人だと思います。
しかし、これは誤解なんですね。聖書は人が救われるには、立派な人間にならなくてはならないとは教えていないのですね。罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じる、その「信仰のみ」で救われると教えているのですね。
これはキリストの使徒パウロも宗教改革者たちも繰り返し語ってきたことです。
では、「狭き門」というのはどういうことなのでしょうか。それは、「信じる」という「ただ信じる」という決断をする人が少ないという意味で「狭き門」だということなんですね。
変な例えですが、何か流行すると、内容をよく吟味もしないで多くの人が飛びつくものに目も心も奪われやすいものですね。人生においてもそうなりやすいのです。たとえ興味を持つ人が少なくても、その道は細くても、いのちに至る道を選択したいものです。

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