ルカの福音書-85 家族とともにもてなす

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2022.01.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 4章
放送日
2022.01.12

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週は引き続きイエス様のカペナウム伝道の様子をお話ししています。イエス様が弟子となっていくシモン・ペテロの家に入ったとき、ペテロの姑が熱を出していました。そのペテロの姑にイエス様が手を置いて、癒やしてくださったのです。すると義理のお母さんの熱が癒され、イエス様を「もてなした」とあります。
この姑の「もてなした」ということばは、「奉仕をした」という意味のことばです。彼女はこのときに信仰を持ったと言って良いでしょう。また、この「もてなした」ということばは「もてなし続けた」という意味です。つまり、いつもイエス様一行をペテロの家は迎えたということになります。そして、この家でペテロとペテロの姑のもてなしをイエス様一行は受けたのです。聖書でイエス様に一番最初の奉仕をしたと記されているのがペテロの姑です。弟子もまだいないイエス様、誰もまだイエス様に奉仕をすることのない中で、イエス様の一番最初の奉仕者になったのが、ペテロの姑だったのです。ペテロよりも先に姑が奉仕者になりました。
さらにこの後、使徒の働きでは、ペテロが妻を連れて伝道旅行に出かけて行く姿が描かれています。イエス様の弟子として歩んだ3年ぐらいの別居生活でも、夫婦関係が守られていたのです。ペテロの妻もイエス様のことを伝道することに、夫とともに奉仕をしました。ペテロは自分だけではない、妻も妻の家族も一緒にイエス様に奉仕をしました。
私たちの家族がイエス様の奉仕者となる日がくることは、何と嬉しく、何と祈りを豊かにしてくれることかと思います。私がはじめて京都の福知山の教会で、教会学校の奉仕を高校生のときにしました。母がとっても喜んでくれました。今、私にも学生の娘と息子がいますが、一緒に教会学校の奉仕をしています。娘は小学校を担当し、息子は高校生を担当しています。昨年の夏のキャンプは、小学生を前に娘は小学生の時に受けた自分の辛い経験を涙ながらに話してくれました。でもその経験があったからイエス様に出会えたのだと話しをしたのです。聞いている私も一緒に泣きながら、なんとも言えない感動の経験をいたしました。
まだ信仰を持っていない家族もまたやがての日、神様のために奉仕者になる日が来ます。今、イエス様が私たちよりも先に家族のところに行ってくださる。そしてそこで癒やし、みことばを分かち合おうとしてくださるのです。

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