ねたみは墓のようだ

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2021.05.15
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] 使徒の働き 25章
[新約聖書] エペソ人への手紙 4章26,27節
放送日
2021.05.15

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。旧約聖書の雅歌という書物に、「ねたみは墓のように残酷だからです。」とあります。ねたみは、殺人の入口なのですね。使徒の働き25章に入ります。
 さて、ポルキウス・フェストゥスは、ローマ総督として任地であるユダヤのカイサリアに着きました。着任して三日の後、ユダヤの都エルサレムに上りました。エルサレムはユダヤの国の都であり、政治、経済、そして宗教の中心地だったからです。
 すると、神殿の祭司長やユダヤ最高議会の有力者たちが、新しいフェストゥス閣下を表敬訪問にやってきました。そして早速、パウロを訴え出たのです。「閣下、パウロをエルサレムに呼び出したいのです。私たちの最高議会で、閣下のもとで裁判をしたいのです。パウロをエルサレムへ呼び戻していただきたい。」としきりに願い出ました。
 ユダヤ人たちは途中で待ち伏せして、パウロを殺す考えでいたのです。なんと二年以上にわたって、ユダヤ人の指導者たちは、パウロに対するねたみと憎しみに心を燃やし、心を焦がし続けていたのです。
 こんがりと焼きあがるためには、パウロを殺害する以外にはありませんでした。殺人の動機は、ねたみと憎しみです。ねたみと憎しみの先に待っているのは、殺人という残酷な仕打ちなのです。「ねたみは墓のように残酷だからです。」という冒頭の聖書の言葉がよみがえってきますね。
 ところが、ユダヤ人たちのしきりに願うリクエストに、総督フェストゥスは答えました。「パウロは今、カイサリアに監禁中だ。自分もすぐにそこに帰ることになっている。もしあの男に何か不都合なことがあるのなら、おまえたちのうちの有力者たちが、私と一緒にカイサリアまで下って行って、訴えるがよかろう。」ねたみに心と体を引きずられた人々は、総督フェストゥスと一緒に、カイサリアに向かうことになります。
 聖書の言葉です。「怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」エペソ人への手紙4章26節、27節

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