こうして彼は死んだ

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき
  • 元気をもらいたいとき

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アップロード日
2024.09.09
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 創世記 5章
[新約聖書] ヨハネの福音書 11章25節
放送日
2024.09.09

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか?関根弘興です。
旧約聖書の創世記をいま読んでいます。この世界の誕生、人間の誕生、そして、神様に背を向けてしまった人の姿、この書にはさまざまなルーツが描かれているのです。
そして、創世記5章には、アダムから始まった最初の系図が記されています。でも、その系図を見ると、なんと登場人物が考えられないほどの長寿、長生きなんですね。たとえば「アダムは930年生きた」とか、「セツは912年生きた」という具合です。ですから、ある人は、当時の年数の数え方は、今と違うのではないかと考えたり、当時は地球の環境や空気中の酸素濃度などが今と違っていて長生きができたのではないかとか、いやいや、遺伝子がまだ今ほど劣化していなかったので長生きできたのではないかと考える人もいます。
しかし、聖書に最初に出てくるこの系図について、寿命の長さをあまり詮索する必要はありません。それよりも、この系図には普通は含まれていない独特な表現が出てくるのです。それは「こうして彼は死んだ」という表現です。系図は死んだ先祖の名前を記録していくものですから、「死んだ」ということは、わざわざ書く必要がありません。しかしこの系図には、丁寧に「こうして彼は死んだ」と繰り返し記されているのです。つまり、人はどんなに長生き、長寿であったとしても、「こうして彼は死んだ」という決して避けることの出来ない死という現実に直面しなければならないのだということを教えているわけですね。しかし、もし聖書が「人は何年生きて・・・こうして彼は死んだ」「人生とは何年生きようが結局死んでおしまい」とだけ記す書物なら、そこには何の励ましも慰めも希望もありません。私たちは、旧約聖書を読み、また新約聖書を読んでいます。新約聖書には、はっきりとこう記されています。救い主イエス・キリストはこう言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」(ヨハネの福音書11章25節)人は生き、そして死にますよね。でも、イエス様は、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と約束されたのです。つまり、「関根弘興はキリストとともに生きた。こうして彼は死んだ。そしてその後も、キリストとともに生きるのだ」ということになるわけですよね。死は決してすべての終わりではありません。死を越えるいのちがあることをイエス・キリストは約束しているのです。

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