ルカの福音書 142

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.02.28
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 6章
放送日
2024.02.28

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     登録数:21

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週、イエス様は固い岩の上に建てた家とは「わたしのことばを聴いて行う」人だと言われました。一方で土台のない家とは、イエス様のことばを聴きながらも行わない人のことだと言われるのです。
そしてイエス様は言われました。「なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか」とおっしゃいました。この話を聴いている彼らは、イエス様の弟子たちでした。神のことばを聴いてはいる。「主よ、主よ」とも祈ってはいる。しかしイエス様の言うことを行っていないと言われているのです。それでは土台のない人生になってしまう。一ぺんにあなたの人生が倒れてしまうことがあるよ、その壊れ方はひどいものになるとイエス様が言われるのです。そしてイエス様はこの箇所で弟子たちに「盲人が盲人の手引きは出来ない」と言われました。イエス様は目の不自由な人のことを批判的におっしゃっている訳ではありません。イエス様は目の見えない方の目に触れ、癒やされました。また目の見えない方だからこそ目の見える者よりも分かることがあります。その声を聴いて、身体に触るだけでどこが弱っているのかが分かる。かえって目で見ることで分かったような気になって、分かっていないということがあるのです。
イエス様はここで心の目の見えない人のことを言っておられるのです。イエス様の弟子たちは自分の心の目が見えていない。けれども自分は誰よりも見えていると思っている。「主よ、主よ」と人を教えながら、人を導きながら、聖書のことばを語りながら、その生き方は土台のない人生になっている。
牧師である私の心に本当に深く突き刺さることばです。自分も聖書を語りながら、分かったような気になって、分かっていないことが沢山あるからです。聖書を教えながらも「一体、どの口が語っているのだろうか」と思うような時があります。しかしそんな時にこそ、神のことば、イエス様のことばをじっと聴くのです。イエス様のことばは私の心の硬い岩盤を打ち砕いてくれます。私の信仰の目は開いていない。でもイエス様が、見えない私の手を引いてくださる。だからこそ安心してイエス様の手を握り、そして少しずつにでも、聴いた神のことばを実践していきたいと思います。イエス様に心の目を開いて頂くよう、祈っていきましょう。

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