私の助けは主から来る

出演者
播磨 聡(日本バプテスト連盟 広島キリスト教会 牧師)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 元気をもらいたいとき

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アップロード日
2023.09.25
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 121篇1、2節
放送日
2023.09.25

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「世の光」の時間です。広島市にある日本バプテスト広島キリスト教会の牧師、播磨聡です。
私たちの人生には、時に辛く苦しい時があります。そのような時に、私を支えてくれた聖書のことばを紹介いたします。
詩篇121篇1~2節です。1節「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか」2節「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から」
これは、都エルサレムの神殿に巡礼する時に歌われた詩です。1節には、「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか」とあります。これから巡礼を始めるこの旅人は、目の前に立ちはだかる山を見上げて不安を覚えました。この旅路が決して安全で順調なものではないことを知っていました。エルサレムに着くまでに、険しい山をいくつも乗り越えなければなりません。盗賊や事故などの危険もありました。「私の助けはどこから来るのか」と恐れを抱いていたのです。
ところが、2節ではその心は一変しています。「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から」と、不安と恐れがすべて払拭されたように、「私の助けは主から来る」と確信して語っているのです。
私は、この1節と2節の間で、巡礼者の心に変化が起こったように感じます。魂の底からの嘆きや不安が尽きた時、神の側から与えられる助けを確信する信仰に変えられているのです。巡礼者は気づきました。自分が恐れていた険しい山。でも実は、その山を造られたのは、神ではなかったのかと。神は「天地を造られたお方」です。この険しい山も、神が造られ、神が支配しているものだと気づいた時、神の御手がここにもあるという確信に変えられたのです。
私たちの人生も、この巡礼者の旅と同じようなものです。時に険しい山が目の前に立ちふさがり、危機を覚える時があります。しかし、すべては神の御手の中にあるのです。私たちもこの気づき、「私の助けは天地を造られたお方から来る」ことを覚えて、危機を乗り越えていきましょう。

コメント

久保今日子
メッセージを感謝致します。
「魂の底からの嘆きや不安が尽きたとき、神の側から与えられる助けを確信する信仰に変えられて...」の体験が、今の私の主信頼の柱です。今、世界は様々な不安に満ちていて、考えても考えても越えられない山が目の前にそびえているようです。時に苦しくもなります。ところが、その超えられないような山も神様が置かれたのでしたら、落ち着いてその山を見上げながら祈りつつ歩めるような勇気を頂きました。感謝致します。

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