おことばをください②

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.04.23
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 7章
放送日
2024.04.23

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
私の担当する週は、ルカ福音書からご一緒に聖書を学んでいます。今週はルカ7章から「これほどの信仰を見たことがありません。」と言われたカペナウムという地域の百人隊長のお話を見ています。百人隊長のしもべが病気になり、しもべの癒やしのためにイエス様を求めるとイエス様は来てくださいました。しかしイエス様が家に近づくと「あなた様を私のような者の家の屋根の下にお入れする資格はありません」と彼は言います。呼んでおいて、いざとなると入ってもらうのは困るとは何だ、矛盾ではないかと思います。しかし、彼にとって矛盾ではないのです。彼はイエス様に来てもらいたいとは思っているんです。しかし同時に、彼は認めざるを得ないこと、それは自分がイエス様をお迎えに行くのも、イエス様に家に入っていただくこともできないほど「資格がない」と考えていました。「資格がない」とは「信仰がない」ことだと考えていたのです。
当時からも、異邦人でもユダヤ人の会堂に参加することが出来ました。彼が求めるなら、洗礼を受け、割礼という儀式を受けユダヤ教徒になることもできたのです。しかし、彼はその線を越えることをしなかったのです。
イエス様に口利きをしたイスラエルの長老から見ても、まだこっちの信仰者の側に来ていない百人隊長でした。でもこの人は立派な人だし、同じくイスラエル人の特権として「イエス様に話してあげるよ。」と力になろうと考えたのです。それは彼らもまた、求道者の彼が直接イエス様にお願いするのには無理があると考えていたからでしょう。
しかし、イエス様が見ておられるのは、イスラエルに属しているかどうか、異邦人なら駄目かどうかではありませんでした。洗礼を受けているかどうかキリスト教信者かどうかという「わかりやすく引かれた線」でもありませんでした。本人が自覚していない「信仰」をイエス様は見出してくださるのです。人が自分で引いてしまっている線を軽々と超えて見てくださるイエス様がおられます。イエス様は「おことばだけください」という求道者、また、信仰を持っていない百人隊長のことばにこそ信仰を見出されます。今日、ラジオをお聞きの皆さん、もしあなたが自分には信仰がないと思われていたとしても、イエス様はあなたの中にすでに信仰を見出しておられるかもしれません。

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