追放
- 出演者
- 関根弘興
- 制作
- 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2024.05.01
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 創世記 3章
- 放送日
- 2024.05.01
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。
神様は、人を、価値のない土地のちりから形造られ、エデンの園に住まわせました。しかし、神様は「園の中央にある善悪の知識の木からは、食べてはならない。」と神様は厳しく命令されました。しかし、人は誘惑する者の巧みなことばに引き込まれ、その実を取って食べてしまいました。その結果はどうなったのでしょう。神様との親しい関係を失ってしまったばかりか、今度は激しい責任転嫁が始まっていきました。まずアダムは神様にこう言い始めたのです。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。私が悪いわけじゃありませんよ。この女が悪いんですよ」まあこんな感じですね。すると、エバも黙っていません。「いやいや、私が悪いんじゃありません。誘惑してきた蛇が私を惑わしたのですから、蛇が悪いんです」責任転嫁が始まっていきました。人は、どうして素直に、「ごめんなさい」と言えないのでしょうね。責任転嫁は、創造の当初からの人間の得意技です。それでは、神様は、思い上がったこの二人に対してどのような対応をなさったのでしょう。それは、エデンの園から追い出す、追放するということをされたのです。「エ!神様は厳しすぎませんか。追い出さなくてもいいじゃないですか」と思う方もいるでしょう。 確かに、人は、自分が神のようになろうとして、神様の警告を無視し、その実を食べてしまいました。その結果、神様に対する罪悪感が芽生え、神様を恐れて隠れるようになりましたね。しかし、彼らがその実を食べたことを後悔したとはどこにも書かれていません。神様の警告を破ってしまったという後ろめたさは感じていましたが、自分の行為がいかに重大な結果をもたらすのか、まだよく分かっていなかったようです。神様は、人がエデンの園にある「いのちの木」からも同じように取って食べて永遠に生きることがないようにと、彼らを園から追放しました。しかし、追い出されたふたりは、どう感じていたでしょうね。彼らは「神様に世話してもらわなくても大丈夫」というような思い上がりもあったかもしれません。園から追放されたのは神様ですが、人の側から言えば、「これからは、自分たちだけでやっていけますよ。神様の世話にならなくても大丈夫ですよ。それじゃ、さようなら!」というような思いだったかもかもしれません。ところが、彼らを待ち受けていたものは一体何だったのでしょう。その続きはまた明日。
神様は、人を、価値のない土地のちりから形造られ、エデンの園に住まわせました。しかし、神様は「園の中央にある善悪の知識の木からは、食べてはならない。」と神様は厳しく命令されました。しかし、人は誘惑する者の巧みなことばに引き込まれ、その実を取って食べてしまいました。その結果はどうなったのでしょう。神様との親しい関係を失ってしまったばかりか、今度は激しい責任転嫁が始まっていきました。まずアダムは神様にこう言い始めたのです。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。私が悪いわけじゃありませんよ。この女が悪いんですよ」まあこんな感じですね。すると、エバも黙っていません。「いやいや、私が悪いんじゃありません。誘惑してきた蛇が私を惑わしたのですから、蛇が悪いんです」責任転嫁が始まっていきました。人は、どうして素直に、「ごめんなさい」と言えないのでしょうね。責任転嫁は、創造の当初からの人間の得意技です。それでは、神様は、思い上がったこの二人に対してどのような対応をなさったのでしょう。それは、エデンの園から追い出す、追放するということをされたのです。「エ!神様は厳しすぎませんか。追い出さなくてもいいじゃないですか」と思う方もいるでしょう。 確かに、人は、自分が神のようになろうとして、神様の警告を無視し、その実を食べてしまいました。その結果、神様に対する罪悪感が芽生え、神様を恐れて隠れるようになりましたね。しかし、彼らがその実を食べたことを後悔したとはどこにも書かれていません。神様の警告を破ってしまったという後ろめたさは感じていましたが、自分の行為がいかに重大な結果をもたらすのか、まだよく分かっていなかったようです。神様は、人がエデンの園にある「いのちの木」からも同じように取って食べて永遠に生きることがないようにと、彼らを園から追放しました。しかし、追い出されたふたりは、どう感じていたでしょうね。彼らは「神様に世話してもらわなくても大丈夫」というような思い上がりもあったかもしれません。園から追放されたのは神様ですが、人の側から言えば、「これからは、自分たちだけでやっていけますよ。神様の世話にならなくても大丈夫ですよ。それじゃ、さようなら!」というような思いだったかもかもしれません。ところが、彼らを待ち受けていたものは一体何だったのでしょう。その続きはまた明日。
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