ルカの福音書-64 イエスも社会の苦渋の中で

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき

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アップロード日
2021.05.21
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
[旧約聖書] 詩篇 22篇
放送日
2021.05.21

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所、ルカ3章では、イエス・キリストに至るまでの系図が出てきます。
 そこには、イエス様が三十歳で神の言葉を語り始められたことが記されています。ここで聖書は、人々からヨセフの子と思われていたと、わざわざ記します。しかし、私たちは知っているのです。イエス様と父親ヨセフは、血はつながっていないということ、聖霊によってみごもったマリアを通して生まれたイエス様は、ヨセフと実際には血縁関係はなかったのです。
 しかし、イエスは人々からヨセフの子と思われていたというのは、イエス様はヨセフの子として、きちんとその人生を生き抜かれたということです。イエス様はヨセフに対して、「あなたは、わたしの本当の父ではない。」などと言われなかったのです。
 大工の父を持ち、そこでその家族の中をきちんと生きていかれました。父親から、大工の手ほどきも受けたでしょう。時には、父ヨセフの機嫌の悪い時などは怒鳴りつけられたこともあったかもしれません。また、ヨセフとマリアの夫婦げんかを目にして、兄弟との確執の間に立つこともあったでしょう。そして、先に夫を亡くした母の苦しさを知り、経済的な厳しさがイエス様家族にどんなに不安定さや、苦しさを与えるかということも、イエス様はご存じであったのです。
 つまり世間知らずで、イエス様の神の言葉を語る働きは始まったのではないということです。三十年間、人間の苦渋を、人生の苦汁をなめられました。働くことのしんどさ、お金を稼ぐことのしんどさ、家族を養うことの厳しさをイエス様はご存じでした。さらに、十代、二十代の時期に、イエス様は会堂での安息日礼拝を守っておられました。イエス様は神の子ですから、神の言葉はだれよりもご存じであったはずです。しかしイエス様は、会堂に通われて、聖書を直接学ばれたのです。
 イエス様は、自分が神の子であるから聖書を学ぶことを軽んじられたり、軽んじるように、弟子たちに語られたりはしませんでした。十字架の上のイエス様の「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という祈りは、詩篇22篇の祈りです。この詩篇が、あの十字架の苦しみの中にあっても口からこぼれ出るということは、御言葉に親しみ続けられた二十代が、イエス様の人生の中にあったことがわかります。私たちも、イエス様のように家族を愛し、御言葉を愛し、そして日々忠実に仕えていきたいと思います。

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