礼儀に反することで人を試さない愛
- 出演者
- 水谷 潔
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.05.28
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] コリント人への手紙第一 13章5節
- 放送日
- 2025.05.28
「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
今日も、新約聖書、コリント人への手紙第一13章から「愛とは何であるか」についてお話しします。新約聖書コリント人への手紙第一13章5節は、愛についてこう記しています。「礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず」。
聖書は愛について「礼儀に反することをせず」と記しています。「親しき仲にも礼儀あり」と言うように、親しい間柄でも礼儀を守らなければ、相手に不快感を与え、愛の関係に亀裂を生じさせかねません。
逆に「無礼講」ということばもあります。上下関係がなく、礼儀を守らなくてよいというルールで催す宴会のことを無礼講と言います。そこには、親しくなっていけば礼儀を守らなくてもよいんだという考え方があるようです。そこで、考えてみましょう。ラジオの前のあなたは、親しくなればなるほど、相手が失礼な振る舞いや要求をするようになり、困惑したということがないでしょうか。
礼儀に反することをして、どの程度受け入れてもらえるかで、相手の愛を試そうとすることがあります。そして、失礼が受け入れられることで、愛を実感するということがあります。しかし、それを愛と呼んでいいのでしょうか。それは、愛ではなく、むしろ、「甘え」と呼ぶべきではないでしょうか。
甘えとは自分の利益の要求です。甘えと愛とは、一見似ていますが、愛とは正反対の自己欲求です。それは愛というより欲でしょう。似ているからこそ、取り違えやすいものです。 大人になる前は、甘えが許されることで愛されているんだと実感してきたかもしれません。 大人になってからは、甘えさせてあげることが愛なのだと考えてきたかもしれません。
しかし、聖書は愛について「礼儀に反することをせず」と語ります。それは、言い換えれば、「礼儀に反することで人を試さない愛」です。親しい関係の中でこそ、礼儀を重んじたいものです。礼儀を重んじるなら、甘えは消えていき、愛に向かっていくでしょう。聖書の語り掛けを受けて、甘えではない、本当の愛に歩んでゆきましょう。
今日も、新約聖書、コリント人への手紙第一13章から「愛とは何であるか」についてお話しします。新約聖書コリント人への手紙第一13章5節は、愛についてこう記しています。「礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず」。
聖書は愛について「礼儀に反することをせず」と記しています。「親しき仲にも礼儀あり」と言うように、親しい間柄でも礼儀を守らなければ、相手に不快感を与え、愛の関係に亀裂を生じさせかねません。
逆に「無礼講」ということばもあります。上下関係がなく、礼儀を守らなくてよいというルールで催す宴会のことを無礼講と言います。そこには、親しくなっていけば礼儀を守らなくてもよいんだという考え方があるようです。そこで、考えてみましょう。ラジオの前のあなたは、親しくなればなるほど、相手が失礼な振る舞いや要求をするようになり、困惑したということがないでしょうか。
礼儀に反することをして、どの程度受け入れてもらえるかで、相手の愛を試そうとすることがあります。そして、失礼が受け入れられることで、愛を実感するということがあります。しかし、それを愛と呼んでいいのでしょうか。それは、愛ではなく、むしろ、「甘え」と呼ぶべきではないでしょうか。
甘えとは自分の利益の要求です。甘えと愛とは、一見似ていますが、愛とは正反対の自己欲求です。それは愛というより欲でしょう。似ているからこそ、取り違えやすいものです。 大人になる前は、甘えが許されることで愛されているんだと実感してきたかもしれません。 大人になってからは、甘えさせてあげることが愛なのだと考えてきたかもしれません。
しかし、聖書は愛について「礼儀に反することをせず」と語ります。それは、言い換えれば、「礼儀に反することで人を試さない愛」です。親しい関係の中でこそ、礼儀を重んじたいものです。礼儀を重んじるなら、甘えは消えていき、愛に向かっていくでしょう。聖書の語り掛けを受けて、甘えではない、本当の愛に歩んでゆきましょう。
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