聖なるものとされる

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2025.05.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヘブル人への手紙 10章
[旧約聖書] レビ記 20章26節
放送日
2025.05.22

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「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。 
昨日は、キリストの十字架と再臨によって成し遂げられる神の救いのことをお話ししました。今日は、その続きとして、神の救いの恵みのひとつである「聖なるものとされる」ことについて新約聖書のへブル人への手紙10章からお話しします。
ちなみに「聖なるもの」の「聖」とはバイブルの聖書の「聖」の字が使われます。聖なるものとされるということをへブル書から教えられましょう。
へブル書の10章10節ではこのように語られています。
「・・・イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています」
つまりキリストの十字架によって、キリストを信じる者は聖なるものとされているのです。
本来、聖なるものとは、まことの神のほかにはありません。神だけが聖なるものなのです。
人は、自分の力で聖なるものとなることはできません。人が聖なるものとなれるとしたら、それは聖なる全能の神によってしかありえません。
聖なる神によってでなければ、人は聖なるものになれないのです。
旧約聖書レビ記20章26節ではその聖なる神が、「あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。主であるわたしが聖であるからである」と言われています。神は、人が聖なるものとなって、ご自分と信頼関係を持つことを心から願われているのです。
聖なるものとは、罪による汚れからきよめられて、永遠に神との正しい関係にあるもののことなのです。
キリストの十字架を通して、私たちを聖なるものとすることが神のみこころなのです。
ですから、キリストを信じる者は、罪を赦されて、聖なるものとして神と共に生きることができるのです。
明日もへブル人への手紙から、お話しします。明日もぜひ「世の光」をお聞きください。

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