旅人の道の光
- 出演者
- 原田憲夫
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 疲れているとき
- 不安や恐れを感じているとき
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- アップロード日
- 2021.06.03
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 詩篇 119篇105節
[新約聖書] ペテロの手紙第一 1章24,25節
[新約聖書] ヨハネの福音書 8章12節
- 放送日
- 2021.06.03
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、原田憲夫です。さて今日も、私たちの人生を旅に重ねながら、ご一緒に考えています。旧約聖書 詩篇119篇105節をお読みします。
「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」
昔の人は「一寸先は闇」と言いました。一寸というのは約三センチです。私たちの人生をたった三センチ先もわからない、明日のことはわからないと注意を促しました。本当にそのとおりです。
私たちの人生の旅路は、一人で踏ん張って歩むには、あまりにも不安で暗い道です。けれども今日の詩篇は、「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」と語ります。
「あなたのみことば」とは、神様が、ご自身と、そのみこころについて私たち人間に伝えられたことば、約束です。目に見えない、手で触れることのできない神様のお考えを、私たちにわかるようにことばで伝えてくださいました。
そして、このみことばは、「私の足のともしび 私の道の光」だと、諭して下さっています。すなわち私たちが旅路を行く時、その足元を照らす光だというのです。
エルサレムの神殿にあった、七つの枝に分かれている燭台の灯は、常夜灯です。それは、いかなる時も消されることがない、永遠の光を象徴してるといいます。
実に、私たちの見たり、聞いたり、手にするものは皆、朽ちていくものです。瞬く間に過ぎ去ります。聖書はこう語っています。
「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」ペテロの手紙第一1章24節、25節
イエス・キリストは、詩篇が語る、みことばを体現されたお方です。闇を照らすいのちの光です。キリストはこう語ります。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
キリストは、旅人であるあなたの足のともしび、あなたの道の光です。あなたが今日、このキリストを、あなたの人生の主と信頼して踏み出す時、真っ暗な道に光が与えられて、「この道に歩め」という、主キリストの導きの声が、聞こえてくるでしょう。
「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」
昔の人は「一寸先は闇」と言いました。一寸というのは約三センチです。私たちの人生をたった三センチ先もわからない、明日のことはわからないと注意を促しました。本当にそのとおりです。
私たちの人生の旅路は、一人で踏ん張って歩むには、あまりにも不安で暗い道です。けれども今日の詩篇は、「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」と語ります。
「あなたのみことば」とは、神様が、ご自身と、そのみこころについて私たち人間に伝えられたことば、約束です。目に見えない、手で触れることのできない神様のお考えを、私たちにわかるようにことばで伝えてくださいました。
そして、このみことばは、「私の足のともしび 私の道の光」だと、諭して下さっています。すなわち私たちが旅路を行く時、その足元を照らす光だというのです。
エルサレムの神殿にあった、七つの枝に分かれている燭台の灯は、常夜灯です。それは、いかなる時も消されることがない、永遠の光を象徴してるといいます。
実に、私たちの見たり、聞いたり、手にするものは皆、朽ちていくものです。瞬く間に過ぎ去ります。聖書はこう語っています。
「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」ペテロの手紙第一1章24節、25節
イエス・キリストは、詩篇が語る、みことばを体現されたお方です。闇を照らすいのちの光です。キリストはこう語ります。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
キリストは、旅人であるあなたの足のともしび、あなたの道の光です。あなたが今日、このキリストを、あなたの人生の主と信頼して踏み出す時、真っ暗な道に光が与えられて、「この道に歩め」という、主キリストの導きの声が、聞こえてくるでしょう。
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