多忙、苛立ち、怒り爆発
- 出演者
- 水谷 潔
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 疲れているとき
- 元気をもらいたいとき
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- アップロード日
- 2025.04.28
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 10章38~42節
- 放送日
- 2025.04.28
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週、番組を担当する、愛知県春日井市にあります、春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
今週は新約聖書、ルカの福音書10章の38節から42節が記す、マルタとマリアの物語から、4回にわたってお話しします。イエス・キリストの一行がある村に入り、マルタとマリアという姉妹の家を訪れます。イエス様をお迎えすると、マルタはおもてなしを始め、一方のマリアは、イエス様の足もとに座り、そのことばに聞き入っていました。マルタは、マリアがもてなしをしないことについては、何も言いませんでした。
「ところが」です。10章の40節をお読みします。「ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。『主よ。私の姉妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。』」
イエス様を愛する思いから、始めたはずのもてなしは、忙しさの中で、苛立ちを生み出します。マルタは、その怒りをマリアにではなく、イエス様に向けたのです。自分だけがもてなしをするという不公平な状態を許しているイエス様が悪いのだと責めたのです。
その訴えを受けて、イエス様は続く41節で、こう答えます。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています」この「心を乱す」のということばは、「心の焦点が分裂していること」を意味します。イエス様はマルタにそのことを自覚して欲しかったのです。愛するイエス様をもてなしたいという本来の心の焦点に立ち返るように願われたのです。
愛する人、大切な誰かのためにと始めたことなのに、忙しさの中で、苛立ちが生じて、その相手に怒りを向けて発してしまう、責めてしまう…。そんなことってないでしょうか。イエス様は、今も目には見えませんが、信じる者と共におられ、そんな私たちに聖書のことばを通じて語り掛けてくださいます。
あなたもイエス様を信じて、その語り掛けを受けて毎日を歩みませんか。心の焦点が分裂することがあっても、いつもイエス様は、あなたを本来の思いに立ち返らせてくださいます。あなたらしい、本来の歩みへと導いてくださいます。
今週は新約聖書、ルカの福音書10章の38節から42節が記す、マルタとマリアの物語から、4回にわたってお話しします。イエス・キリストの一行がある村に入り、マルタとマリアという姉妹の家を訪れます。イエス様をお迎えすると、マルタはおもてなしを始め、一方のマリアは、イエス様の足もとに座り、そのことばに聞き入っていました。マルタは、マリアがもてなしをしないことについては、何も言いませんでした。
「ところが」です。10章の40節をお読みします。「ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。『主よ。私の姉妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。』」
イエス様を愛する思いから、始めたはずのもてなしは、忙しさの中で、苛立ちを生み出します。マルタは、その怒りをマリアにではなく、イエス様に向けたのです。自分だけがもてなしをするという不公平な状態を許しているイエス様が悪いのだと責めたのです。
その訴えを受けて、イエス様は続く41節で、こう答えます。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています」この「心を乱す」のということばは、「心の焦点が分裂していること」を意味します。イエス様はマルタにそのことを自覚して欲しかったのです。愛するイエス様をもてなしたいという本来の心の焦点に立ち返るように願われたのです。
愛する人、大切な誰かのためにと始めたことなのに、忙しさの中で、苛立ちが生じて、その相手に怒りを向けて発してしまう、責めてしまう…。そんなことってないでしょうか。イエス様は、今も目には見えませんが、信じる者と共におられ、そんな私たちに聖書のことばを通じて語り掛けてくださいます。
あなたもイエス様を信じて、その語り掛けを受けて毎日を歩みませんか。心の焦点が分裂することがあっても、いつもイエス様は、あなたを本来の思いに立ち返らせてくださいます。あなたらしい、本来の歩みへと導いてくださいます。
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