来て、見てごらんなさい

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.03.28
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 4章27~30節
[旧約聖書] 箴言 29章25節
放送日
2023.03.28

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「来て、見てごらんなさい」という題でお話しましょう。
「論より証拠」ということばがあります。いろいろと論じるよりは、自分の足で歩いてきて、見るほうが確かであるという意味です。イエス様とお会いしたサマリアの女は、水がめを井戸に置いたままスカルの町へ飛んでいって、イエス様のことを人々に伝えました。ヨハネの福音書の4章27~30節です。
ちょうどその時です。弟子たちが食物を買いに行っていた町から帰ってきました。ところが、イエス様が一人の女と話しておられるのを見て不思議に思いました。しかし、「何を求めておられるのですか」とも、「先生、何を彼女と話しておられるのですか」とも尋ねる者は一人もなかったのです。
理由は二つ考えられます。一つはサマリアの女は見るからに卑しい女であったからでしょう。もう一つは、ユダヤ人はサマリア人とは話しただけでも、「我が身が穢れる」と考えられていたので、交際していませんでした。それなのに、イエス様は平気でサマリアの女性と話しておられたからです。
さて、一方、この女は水がめをそのまま井戸のそばに置いて町へ行きました。そして、サマリアのスカルの町の人々に言いふらしたのです。「私のしたこと、していることを何もかも言い当てた人がいるんです。さあ、来てみてくださいな。もしかしたら、この人がキリスト(救世主)かもしれません。」
それにしても、私には驚きです。イエス様と出会うという人生が、これほどまでに人を変えてしまうのでしょうか。サマリアの女は人目を避けて炎天下、井戸に水を汲みに来ました。誰とも会いたくなかったからです。それなのに、イエス様と話してからは、人が変わったように、スカルの町の人々にイエス様のことを言いふらしているのです。イエス様に会って、イエス様の教えに触れてほしいと願っているのです。
すると、町の人々は町を出て、イエス様のところにやってくるのです。私たちがイエス様と出会い、イエス様のことばを信じ受け入れますと私たちの心は人々を恐れる恐れから解放されてゆくのです。
聖書のことばです。「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」箴言29章 25節

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