赦すとは

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2023.03.23
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 18章
[新約聖書] コロサイ人への手紙 3章13節
放送日
2023.03.23

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
イエス・キリストが話されたたとえ話からお互いの人生を考えていきましょう。
イエス・キリストは、赦しということについて、「7回を70倍するまで赦せ」と話されました。でも、このことばはときどき大きな大きなプレッシャーに感じることがありますよね。「なぜ、赦さなければならないのか」と。とても、理不尽な思いをもつこともあります。私たちはそれぞれの人間関係の中で「赦せない」ということがしばしばありますね。
では、聖書が教えている「赦す」とはどういうことなのでしょうか。
まず、第一に覚えていただきたいことは、「赦し」というのは感情によって左右されるものではないということです。感情的に赦せない人を無理やり好きになろうとすることではありません。赦すためには意志を働かせる必要があります。「赦そうと思えない…」そんな時に意志的に「あの人を赦そう」「あの人を赦します」と決断し、宣言することです。もはや自分はそのことで心を動かされない、動じないという決断をすることなのです。
ですから、時には時間がかかります。「赦す」と決めても感情がなかなか付いてこない時が多いからです。「赦せない」という感情が繰り返し、繰り返し湧き上がってくることもあるでしょう。その時に、繰り返し「赦し」を宣言していくのです。
神様のほうではあなたに対していつもこう宣言してくださっています。イザヤ43章25節「 わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」と。
この神様のことばを聴きながら、繰り返し、繰り返し「赦し」を宣言していく時に、次第に感情も付いてくるようになるでしょう。ですから、いろいろな葛藤があってもあきらめないでください。そのために必要なのは、まず自分が神様の大きな赦しの恵みのなかに生かされていることを知り続けていくことです。
そして第二は、「赦す」とは、不正を見逃すことではありません。つまり、赦すというのは、何でも安易に容認することではありません。イエス様は、誰かが罪や過ちを犯した場合には、まず、個人的に戒め、注意し、また事実を確かめながら整理し、きちんと諭していくことが大切であると教えられていましたよね。なぜなら、それが相手の益になるからです。
最後に、コロサイ人への手紙3章13節のことばを紹介しましょう。「互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」

コメント

中野周治
赦すとは相手の罪が自分自身の中にもある事に気づく事!

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中野周治
この中で罪の無い者から、先ず、この女に石🪨を投げなさい!

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