十戒-自由への励まし-126 欲しがってはならない

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

もっと詳しく見る

アップロード日
2019.10.10
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.10.10

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。聖書には十戒と呼ばれる、神と人との間に結ばれた約束があります。第十戒は、「欲しがってはならない」です。この教えは、欲しがってはならないものが何かを示すこととともに、私たちが本当に欲しがるべきものが何かを教えてくれます。そして聖書が語る、私たちが本当に欲しがるべきものは、神の言葉であり、神との交わりです。そして、それを手に入れることのできる場所は、この世界の一体どこにあるのでしょうか。それはキリスト教会にあります。キリスト教会でなされる礼拝でこそ、神の言葉が語られ、神への祈りが献げられます。神への賛美が献げられ、神との真実な交わりがそこにあります。
 教会の礼拝では、さらに聖餐式というものがあります。パンを食べ、ブドウの杯を飲みます。それはイエス様が、私を覚えてこれをしなさいとおっしゃったからです。礼拝の聖餐についてイエス様は「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」とおっしゃいました。
 飢えることがない、渇くことがない、いのちのパンこそ、私たちが本当の意味で欲するべきものです。私たちの人生には、本来これさえあればすべてが満たされることとなるのです。聖餐式で、私たちの舌はキリストを味わいます。その鼻でキリストの香りを嗅ぎます。パンを欲しがることも、ブドウ酒を求めることも、イエス様を求める祈りの入り口に備えられているのです。食べることがキリストの言葉を思い起こし、飲むことが十字架の血潮を思うこととなるのです。
 キリスト教信仰は、禁欲主義ではありません。食べることは大切なことです。食欲という欲望も、神様によって造られました。感謝して私たちは食べて、味わい、楽しむのです。聖餐式で口にするパンを味わう時、天におられるイエス様と自分は一つにさせられている、その神秘の中に身をおくのです。そうする時、私たちは本当に必要なものを手にしている満足を手に入れることが教会でできるのです。
 私たちは、キリストにお会いする時、神が私たちのすべての必要を知っていて下さる安心を得ます。あれが必要だ、これが必要だという世の中の声に惑わされずに生きていく生き方を手にするのです。
 どうぞ、キリスト教会にお越し下さい。そこでは、あなたが本当に欲しがるべきもので溢れています。神様の言葉を信じ、神との交わりをすることができる礼拝であなたのことをお待ちしています。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ