自分のいのちを憎むもの

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.09.27
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 12章25節
放送日
2019.09.27

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世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
 イエス様は、私たちが生きていく上で、大切なたくさんの教えをお語りになりました。その一つを紹介しましょう。ヨハネの福音書12章25節。「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。」
 これはどういう意味なんでしょうか。前回、ここで言われている、「自分を愛する」ということの意味を説明しました。それは、自分をいつも最優先にして生きるという生き方。いつも自分のことだけを考えて生きる生き方、そんな生き方を指しているんですね。
 イエス様は、そのような自分本位な生き方は、かえって自分のいのちを失う結果になるのだと教えられたのです。それでは、自分のいのちを憎むということはどういうことでしょうか。
 これは自分を嫌いになるとか、自分自身を粗末に扱うとか、自分の弱さを嘆き自己卑下するということではありません。ここでイエス様が言っておられる、自分のいのちを憎むとていうのは、自分で自分の人生を握り締めて、支配しようとするのを止めて、その手を離して、イエス様にお任せするということです。つまり、いつも自分に固執して、自分が中心であるかのような生き方。自分が、主人になるような生き方をするのではなくて、イエス様を人生の主と認め、仕えるという心を持って生きていく生き方へと変えられていく、その姿のことをイエス様はお話しになったのです。
 なぜなら、それは、イエス・キリストの姿の中にも見られることだからです。イエス様は、「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」と言われました。
 イエス様は、十字架でご自分のいのちを捨てるまでして、徹底的に私たちの救いのために仕えて下さいました。ですからペテロは、「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。」と記しています。神様がまず、私たちを愛して、救い主イエス様を遣わして下さいました。そしてイエス様が、愛をもって仕える姿を模範として示して下さいました。このイエス様を模範として生きることが、自分のいのちを憎むことであり、結果的に永遠のいのちの実を結ぶ祝福につながっていくんですね。

コメント

森田裕史
わかりにくい御言葉を、わかりやすく解き明かししてくださり、感謝します🙏

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