十戒-自由への励まし121 欲しがってはならない

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

もっと詳しく見る

アップロード日
2019.09.05
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.09.05

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には、十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒をはじめとした聖書の言葉が、人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くための言葉なのです。
 十戒 第十の戒めは「欲しがってはならない」です。今、私たちの目の前には、私たちの生活に必要ですよと語る、いくつものものが提示されます。テレビではコマーシャルが流され、インターネットでは以前購入したものの傾向から、新しいこんな商品が出ましたよと、自分の好みにあったものがパソコンの画面に出てきます。
 十戒 第十の戒め「欲しがってはならない」は、そんな私たちの現状に、「あなたは本当に何が欲しいのですか?」と問いかけてきます。「あなたが本当に欲しがるべきものは、他にあるのではないですか?」とも問いかけてくるのです。そして私たちが、ふだん人前に見せることのない自分の中にある欲望の正体と、向き合いなさいと語るのです。
 さらに、欲望の根底にある魂の渇きに気づかせてくれる戒めなのです。十戒 第十の戒めを「欲しがってはならない」は、「ハーマド」というヘブル語が使用されています。これは「むさぼる」「貪欲」という意味があります。ただ単に欲しいという感情だけではなく、何かを手に入れるためには、陰謀すら行う欲望を指す言葉です。つまり、内面の欲しいという感情によって沸き起こってくる、奪いたい、自分のものにしたいと考える強い感情を指す言葉なのです。隣の家を奪いたい。隣の家の妻を手に入れたいと画策する思いのことです。
 旧約聖書に出てくるダビデ王が、自分の部下ウリヤの妻バテシェバを自分のものにしたいと思い、忠実な部下ウリヤを、意図的に戦死させるように仕向けた物語りは、陰謀を伴った欲望の凄まじい物語りであると言えるでしょう。この欲望という人間の心は、まだ決定的な罪を犯していないと私たちは考えるでしょう。しかし、すべての犯罪は、この欲望を出発点にしています。私たちが人前でうまく隠せていると思いながら、私たちの深い罪の現実なのです。
 今日、あなたのコントロールしきれていないその感情を、神様はご存じです。そして、その感情に気づいておられる神様が、あなたを更なる罪のぬかるみの中に陥らないように、全力で守ろうとしておられるのです。むしろ十戒 第十の戒めを通して、あなたが本当に求めるべきものは私なのだと、神の愛が示されているのです。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ