民の幸福を求める

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき

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アップロード日
2019.09.04
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] エステル記 10章3節
放送日
2019.09.04

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われていくものがありますね。今日も聖書を開いてまいりましょう。エステル記10章3節から「民の幸福を求める」と題して、メッセージをお伝えいたします。
 「実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。」
 今日は、エステル記の最終章ですね。わずか3節。それはエステルの時代に起こった、ユダヤ人大虐殺の結末を描いています。ユダヤ人を憎み、ユダヤ人絶滅の法令を発布し実行するように仕向けたハマンは、自ら滅び、ユダヤ人は自分たちを迫害する者たちを打ち倒す、逆転の勝利をつかんでいくのです。図らずもこの困難の中で、ユダヤ人を牽引したモルデカイは、ペルシャの王クセルクセスの次の位に抜擢されていきます。しかしながら、当時一体誰がこのような結末を、はじめから予測し得たことでしょうか。誰も彼もが神の救いを求めつつも、巨大な国家権力の前に自分たちも終りだと考えたのではないでしょうか。
 エステル記の現代版である、アウシュビッツの惨事を逃れたコーリーテンブームという人は、「わたしたちが知っている神に、知らない未来を託することを恐れてはならない」と語ったといいます。私たちに、最善を成して下さる良き神に、期待し続けることはとても大切なことです。神は闇から光へ、死から命へと導かれるお方だからです。
 しかしながら、さらに大切なのは、ただ神の哀れみによって九死に一生を得るだけではなく、神に与えられた命を活かすことでしょう。モルデカイは、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ることを使命としました。私たちに命が与えられているのは、我欲に満ちた自分自身のためにそれらを費やすためではありません。他者の幸福を求め、平和を語りもたらすためです。私たちの命も力も、そして能力も財力も、すべては他者の幸福と平和のために与えてくださっているもので、正しく用いていきたいものですね。では良き一週を祈ります。

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