わたしに従いなさい

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.07.15
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 8章34節
放送日
2019.07.15

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世の光の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。第三月曜日の今日は、キリストが弟子たちに語られた言葉から、キリストに従う祝福を一緒に考えてみましょう。
 先に、すばらしい信仰告白をし、キリストから称賛されたペテロでしたが、十字架に向かう苦難を語ったキリストを、人間的な考えでいさめてしまい叱責を受けました。しかし、キリストはペテロだけではなく、他の人々の愚かさや弱さもすべてご存じの上で、自分に従って来るようにと彼らを招かれたのです。聖書はこう語っています。「それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」新約聖書マルコの福音書8章34節。
 この自分を捨てるとは、自分中心の考え方、また自分の握り締めているプライドやこだわりを捨て去ることなどを意味します。それは、自分の十字架を負うことでもあります。十字架刑の受刑者は、自分で十字架の横木を背負って、死刑場であるゴルゴタの丘に進みゆきます。すなわち、十字架を負うということは、自分の死そのものを背負うことであり、自分に死ぬこととも言えるでしょう。これこそが、キリストに従う道だとして群集をも招きました。なんと厳しい招きでしょうか。しかし実は、そこにこそ、本当の愛と恵みへの招きがありました。なぜなら、私たちの自己中心的な罪のために、キリストが身代わりに罪の裁きを受け、私たちが、自分中心の歩みから離れて、真理と愛のために生きることができるように、キリストが道を備えられたからです。しかしキリストは、ひとりひとりを命がけの愛で愛し、共に歩んで下さるからです。この愛を受け取っていくとき、私もまた真実な愛へと変えられ続け、キリストに従うことができるものへとされ続けていくのです。すなわちこのキリストの招きは、祝福と栄光の道への招きでもあるのです。そして、自分自身への傾きから自由になり、罪赦されて歩む道は、周りの人々にも祝福を届ける器とされる豊かな恵みに満ちているのです。
 キリストはあなたをも招かれます。「わたしに従って来なさい」と。あなたはどのようにお考えになりますか。キリストはあなたを待っておられます。

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