主のことばのとおりであった

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.05.08
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
 444節
放送日
2019.05.08

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。
「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むごとに、不思議にも自然と養われていくものがあるのですね。では今日も聖書を開いてまいりましょう。
 今日は、列王記第二 4章44節から、「主のことばのとおりであった」と題してメッセージをお伝えいたします。「そこで、召使いが彼らに配ると、彼らは食べて残した。主のことばのとおりであった。」
 当時、神の預言者が、社会の中で十分かつ正当な関心を持って取り扱われていなかったようです。神の御業のために労し死んだ預言者の家族が、生活苦に陥っていたエピソードが描かれています。しかし、それは旧約時代だけのお話ではありませんね。新約聖書の時代において、使徒パウロはこう語っています。「みことばを教えてもらう人は、教えてくれる人と、すべての良いものを分かち合いなさい。」新約時代においても、教会の働き人の生活に配慮すべきことは教えられなければなりませんでしたが、それは今日も同じです。
 エリシャは、配慮と祈りを持ってそうした生活苦に陥っていた預言者の家族を助けました。この章に続いて描かれるシュネムの女の話も関連した内容ですね。彼女はしばしば、訪れる預言者のために心遣いをし、休める部屋を提供しています。彼女は自身の富を正しく用いて、神の働きのためにすべてをなげうったエリシャの働きを支えたのです。
 最後に同じように、預言者たちに食料を分け与えるエピソードが描かれています。それは十分なものではありませんでしたが、神様は与えなさい。それは十分であるばかりか、食べ残すであろうと語られるのです。何か新約聖書に書かれている五千人の人のお腹を満たした、イエスの二匹の魚と五つのパンの奇跡を思い出すようなエピソードですね。
 大切なのは、これらは神様を第一とし、神様を覚えて歩む時に必要なものは、みな与えられることを物語っていることです。イエス様も言いました。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」と。
 神のもとに、豊かさと力と勢いがあります。いつでも不足があったら、神に期待し、神の助けと導きを求めるものでありましょう。では良き一週を祈ります。

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