キリストの十字架の赦し

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • イースター

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アップロード日
2019.04.11
カテゴリ
人物・人生
放送日
2019.04.11

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 さあ、今月はイースター、イエス・キリストの十字架と復活を祝う季節を迎えています。
 イエス・キリストの十字架について、聖書はそれを目撃したものが証をしているのである。その証は真実である。その人があなた方にも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのであると記します。
 では、聖書が記す目撃した者たちは、一体何を目撃したのでしょうか。それは目の前でイエス・キリストが殺されて、確かに死んだのを目撃したのです。イエス・キリストは十字架の上で、その手に釘が打たれました。足にも釘が打たれました。頭には茨の冠が被せられ、背中には何度も何度も打ち付けられた鞭の跡がありました。何のためにキリストは十字架で殺されなければならなかったのでしょうか。それは私たちの罪の罰を身代わりに受けるためだと聖書は語ります。
 私たちは本来、自分が犯してしまった罪の罰を、自分で受けなければなりません。聖書は語ります。人生は死んで終わりなのではないのだと。私たちは、この世界を造られた神の前に立たされる時が来るのだと語るのです。そして、自分の人生でなしてしまった罪の裁きを、神の御前で受けなければならない時が必ず来るのです。人は必ずその人生で、自分の人生の刈り取りをしなければいけません。神の前の罪の裁き思う時、神の御前に胸を張って立つことのできる人などは誰もいません。
 しかしたった1人だけ、神の前に立つことのできる存在がいます。それが神の子イエス・キリストです。キリストは何一つ罪を犯すことがなかったのです。だからこそ、私たちの罪の身代わりになって、私たちの罪の裁きを十字架で受けることができました。
 イエス・キリストの十字架の手の釘は、私が触れてはいけないものを触れてしまうその罪のために。あのキリストの十字架の足の釘は、私たちが行ってはいけないところに行ってしまうその罪のために。キリストの頭の茨の冠は、あなたが考えてはいけないことを考えてしまう罪のために。キリストの鞭の後は、あなたが誰かを傷つけ痛めつけてしまったその罪のために。キリストの脇腹の槍の後は、あなたが自分のことが嫌いで生きることが苦しく、胸を締め付けられそうになるほど苦しんできたそのために、キリストは十字架にかかってくださったのです。キリストの十字架は、そのことのためであったと、あなたが信じる時に、あなたの罪は赦され、永遠の裁きから救い出されます。このキリストの十字架の救いを受け取りませんか。

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