空しさからの解放

出演者
菊地百合子(山形ホーリネス教会 牧師)
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 眠れないとき

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アップロード日
2021.07.07
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 9章25節
放送日
2021.07.07

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 「世の光」の時間です。お元気でしょうか、山形ホーリネス教会の菊地百合子です。
 昨日もお話をした私の父は、五人兄弟の末っ子として生まれましたが、三人の兄は、次々と父の少年の頃、戦死や病死で、この世を去りました。この肉親の兄弟との死別は、幼い父の心に、死への恐怖を植えつけたのでした。この死への恐怖は形を変えて、どうせ死ぬのなら、太く短く生きようと、いわゆる、飲む・打つ・買うの三拍子揃った、罪深い生活を続けました。悲惨な状況から抜けだそうとするのですが、どうすることもできず、空しさと孤独を抱えて生きていました。
 そのような時に、父はオートレース場でトラブルを起こし、喧嘩になり、眼鏡のガラスが目に刺さり、左目を失明しました。右目は強度の近視でした。この失意のどん底にいた時に、短波福音放送「世の光」によって父は初めて、キリスト教に出会いました。それから聖書通信講座を受けて、三カ月後にイエス・キリストを信じる決心をしたのです。その後、洗礼を受けたいと思った父は、教会の門をたたきました。身も心もズタズタになっていた父を、教会の方々は、とても親切に、暖かく迎えてくれました。
 父は、初めて教会に行った日のことを、生涯忘れることができないとよく言っていました。1954年10月17日生まれで、23年目にしてようやく教会にたどり着き、むなしい孤独な生涯が終りました。
 父は左眼を失明した暗闇の中で、一つの光を見つけました。それは心の暗闇を照らすキリストの光でした。罪のためにくもっていた心の目が開かれ、神を見ることができました。目が見えなくなって、目が開かれたのです。
 生まれつき目の見えない人が、イエス・キリストによって癒やされた時に言ったことばが、ヨハネによる福音書9章25節に出てきます。
 「一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
 神のみわざは、父の上にも実現しました。むなしさと孤独のゆえに、罪の奴隷となり、暗闇の中に閉じこもっていた時に、光を見出し、父の人生は大きく変わりました。未だかつて、経験したことのない神の平安を、父は経験しました。ハレルヤ!ラジオをお聴きの皆様の上に、今日も神様の平安がありますように。

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