ルカの福音書48-主の声を聞く荒野

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2021.02.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
[新約聖書] マルコの福音書 1章
放送日
2021.02.22

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
 荒野で叫ぶ者の声と呼ばれるヨハネという人が出てきます。彼は荒野に住んでおり、人々にイエス様を信じる心の準備をさせる人でした。
 ヨハネは荒野に住んでいました。マルコの1章を見ると、荒野に住み、らくだの毛で織った物を着、腰に皮の帯を締め、当時、遊牧民の常食であった、いなごと野蜜を食べていたと記されています。
 なぜ、ヨハネは荒野にいたのでしょうか。旧約聖書には、たくさんの荒野が出てきます。荒野は、聖書で重要な役割を果たしてきた場所でした。イスラエルの先祖のアブラハムが、行き先もわからず出て行った場所は荒野でした。さらにヤコブという人が、神と格闘した場所であり、モーセがエジプトから逃れたどり着いた場所です。モーセは、神様からの召しを何度も拒んだにも関わらず、神様に従ったのも荒野です。
 出エジプトの民が神に従わず、四十年さまよい歩いた場所も荒野でした。聖書において荒野とは、人生をさまよい出ていく、そんな場所となっています。多くの神にそむき、神の言葉をそむいた者たちが歩く場所でもありました。さまよい出て、喉の渇きを覚え、神に不満をつぶやく場所でした。
 しかし、荒野でこそイスラエルの民は、主の声を聞いたのです。疲れ果て、もはや死を願うその民に、主は荒野で声をかけられました。荒野は、主と出会う場所でもありました。そして荒野は、主の声を聞く者たちの悔い改めの場所でありました。主に取り扱われ、神様のもとへ立ち返る決心をする場所でもあったのです。
 ヨハネはいつの頃でしょうか。荒野にさまよい出たのです。私たちの人生にも、荒野のような時があります。何をしても空しくて、どこを見ても絶望しかないような時です。そして、神様からの声にそむいて、神様を信じることは諦めて、神から離れていきたいと思うような時です。
 しかし、その荒野でこそ、神様は私たちに声をかけてくださいます。荒野でこそ、人生をもう一度やり直そうと思える神との出会いがあるのです。もし今日あなたが、荒野のような時を過ごしているのであれば、そこは、神様と出会う時です。ヨハネもまた、荒野で神と出会いました。そして荒野で悩める人々を待っていたのです。あなたを待っている神が、今日も荒野であなたを迎えてくださるのです。今週は、一緒に荒野のヨハネについて見ていきたいと思います。

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