本当に神の子であった

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2021.02.05
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 27章54節
放送日
2021.02.05

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、マタイの福音書27章54節から「本当に神の子であった」と題して、メッセージをお伝えいたします。
 「百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。『この方は本当に神の子であった。』」
 イエスは、ユダヤ式の裁判を終えた後、ローマ式の裁判を受けるためローマ総督に引き渡されました。当時のイスラエルは、ローマ帝国の支配下にありましたから、死刑執行はローマ総督の命令がなくては行えなかったのです。そこでイエスは、ローマ帝国への反逆者として訴えられていますね。
 しかし、ローマ総督のピラトは、イエスが死刑にあたいするような人間ではないことなど、百も承知のようでしたね。ですから、何とかイエスを助けようとするのですが、結果的に、十字架につけろと叫び続けるユダヤ人の圧力におされて、イエスの死刑執行を認めていくのです。
 27節からは、イエスが十字架につけられていく、実に痛ましい記録です。イエスは、皇帝の紫色の礼服を模した、緋色のマント、王尺の代わりとなる葦の棒、そしていばらの冠をかぶらされ、さんざんからかわれた後、無制限にむちを打つ、ローマ式のむち打ち刑を受けています。それは、イエスの肉を裂き、骨を砕く拷問に等しい刑でした。
 イエスは精神的にも肉体的にも極めてどん底、極限の苦しみにあったと言えるでしょう。しかし、それをはるかに上回る最大の苦しみは、イエスが人だけではない、神に見捨てられる苦悩に落ちたことです。そこでもし、自分は神にも見捨てられたと思うような方がいるならば、イエスが、あなたの代わりにその運命を引き受けて下さったことを覚えていただきたいと私は思います。あなたにくだされるはずの呪いは、イエスにくだされ、イエスにくだされるはずの祝福は、あなたにくだされるのです。
 あなたがそのことを受け入れて、神に従う人生をスタートさせるなら、神があなたの助けとなり、あなたの人生も変わることでしょう。
 では今日も、良き一日となるように祈ります。

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